天理教 怖い。 天理教は危険でやばいって本当!?その教えと事件性の秘密

教派神道

天理教 怖い

概要 [ ] 天理教山口宣教所の所長であったは、山口県内の教会の整理・再興の任にあたったが思うように布教や救済が進まず、焦りのなか「胸調べ」と称する瞑想を行った。 1913年7月15日、愛治郎は全裸となり、家族の衣服も剥ぎ取って、部屋の中を徘徊しはじめ自からをの後継者であるという啓示を受ける。 「 甘露台人の理」と呼ばれる。 当初は甘露台が人間、ましてや自分自身とは認められない愛治郎であったが、否定すると胸が苦しくなり、居てもたってもいられなくなることから自らを甘露台であると悟るにいたる。 この年は天理教教祖・の115歳の定命が尽きたとされる1912年の翌年にあたり、天啓の継承者が現れるのも当然と考えた。 自らが悟った内容を手紙にし、計66回に渡って教会本部や主要教会に郵送したが天理教内では受け入れられず、所属していた奈良教会は山口宣教所長の辞職勧告をする。 1920年には賛同者も出始め、1922年には天理教本部へ交渉団を派遣するに至るが、ついに翌年に教師資格を剥奪し追放される。 (大正14年)奈良県で「」を研究する「 天理研究会」を発足させる。 (昭和3年)に『研究資料』を発表・配布し、それが、戦争による国家滅亡の危機を予言・警告し、の神格を否定する内容として、天理研究会の会員らと共に検挙される。 不敬罪によって、天理研究会の解散を命じられるも、(昭和5年)、大西愛治郎を精神鑑定の結果、一連の天啓が妄想の産物であるとされ無罪が大審院で判決された。 (昭和11年)「 天理本道」と改称し、布教が本格化。 大西愛治郎の嘗て居た天理教にも布教がなされた。 (昭和13年)『研究資料』と同趣旨の『書信』を発表・配布し、警察当局が国家体制を脅かすものとして、治安維持法違反・不敬罪違反で大西らは再び検挙された。 教団に対しては結社禁止命令が、大西愛治郎に対しては無期懲役が言い渡されたが、(昭和20年)に第二次世界大戦が終結すると全員免訴となった。 (昭和21年)に大阪府高石市に本部所在地を移転し、(昭和25年)に「 ほんみち」と改称。 1950年 昭和25年 11月8日、ほんみち本部は脱税容疑で家宅捜索を受けた。 大西愛治郎は「中山みきの生まれ変わり」として次女・を養育したが、(昭和37年)、大西玉はほんみちより「」として分離・独立した。 大西愛治郎の没後、孫に当たるが教団を率いている。 その後、(昭和52年)に大阪府泉南市牧野の礼拝所を建設。 (昭和54年)に信者ではない者には未公開であった本部を公開し、(昭和55年)から(昭和59年)まで「ほんみち紹介のつどい」や、(平成元年)からは信者同伴を条件として一般の参拝を受け入れる「ほんみち神拝殿一般参拝」などが行われている。 さらに、(昭和62年)には本部に大規模な礼拝所を建設した。 信者の子供は高校進学をせずに中学を出たら信者になるために、泉南市の公立中学校卒業者の高校進学率は82. 1%と、諸島部や限界集落を除けば日本一低い。 また、信者は月の何日かは作業所で働くために職業が制限されてしまっている。 現在ほんみちは本部の外に海外も含めて2支部5出張所を置き(その他巡教会場は多数あり)役員約6千人、信徒約30万人で組織されている。 天理教との相違点・類似点 [ ] 天理教では信者は「ようぼく」と呼ばれるが、ほんみちでは「みち人」と呼ぶ。 その一方で、個人単位の布教活動を「においがけ」、教団施設の維持管理を「ひのきしん」、神が理想とする「陽気世界」(天理教の「陽気ぐらし」と類似)に住むための精神の成長を「心のふしん」と呼ぶ など、大西愛治郎が中山みきを継承した者であると主張するように、天理教と類似点が多い。 法人・組織 [ ] 教祖・教主職 [ ] 教祖は 大西愛治郎。 現教主は大西愛治郎の孫である 大西泰彦。 「大西愛冶郎は大西泰彦に生まれ変わった」と称される。 教主名は「 甘露台」と称される。 参拝所 [ ] 参拝所は、本部以外に宇陀支部・泉南支部・中部出張所・西部出張所・明石出張所・本部直轄関東出張所など2支部5出張所がある。 年間の主な行事 [ ] 出典:• 元旦祭 1月1日• ほんみち年始式 1月2日• 開扉記念式 5月5日• 春季大祭 5月26日• 発祥記念祭 8月15日• 秋季大祭 10月26日 脚注 [ ]• 大島宏之著『この一冊で「宗教」がわかる!』 三笠書房、1996年、250頁• 『新宗教の本 霊能の秘儀と巨大教団の系譜』(学研、2008年)146頁• 村上重良著『日本宗教事典』(講談社、1988年)387頁• ほか編『新宗教事典』(弘文堂、1990年)387頁• 同上、496頁• 同上、500頁• 同上、500頁• 18 P598• 井上順孝ほか偏『新宗教教団・人物事典』(弘文堂、1996年)280頁• 新宗教研究会著『図解新宗教ガイド』(九天社、2006年)134頁• 平成28年度学校基本調査 初等中等教育機関・専修学校・各種学校《報告書未掲載集計》市町村別集計 卒業後の状況調査(中学校)• 井上順孝ほか編『新宗教教団・人物事典』(弘文堂、1996年)281頁• 、新宗教研究会著『図解新宗教ガイド』(九天社、2006年)135頁 参考文献 [ ]• - 宗教情報リサーチセンター• 大島宏之著『この一冊で「宗教」がわかる!』 三笠書房、1996年• 監修『現代にっぽん新宗教百科』 柏書房、2011年• 著『ほんみち不敬罪事件 天皇制と対決した民衆宗教』 講談社、1974年• 村上重良著『新宗教 その行動と思想』 岩波書店、2007年• 別冊宝島編集部編『日本の宗教50 完全パワーランキング 人脈力・資金力・政治力』 宝島社、2017年 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• 『』 - この項目は、に関連した です。 (1814年)• (1840年)• (1857年)• (1859年)• (1869年)• (1872年)• (1873年)• (1880年)• (1882年)• (1882年)• (1892年)• (1900年)• (1905年)• (1908年)• (1916年)• (1927年)• (1930年)• (1930年)• (1932年)• (1935年)• (1941年)• (1945年)• (1946年)• (1947年)• (1948年)• (1948年)• (1949年)• (1952年)• (1952年)• (1954年)• (1955年)• (1957年)• (1958年)• (1970年)• (1970年)• (1972年)• (1984年)• (1985年)• (1999年) 天理系.

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天理教「潜入」2泊3日、“私”の信心が「急激に冷めたワケ」――理想と“俗世”のはざまで (2018年8月8日)

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概要 [ ] 天理教山口宣教所の所長であったは、山口県内の教会の整理・再興の任にあたったが思うように布教や救済が進まず、焦りのなか「胸調べ」と称する瞑想を行った。 1913年7月15日、愛治郎は全裸となり、家族の衣服も剥ぎ取って、部屋の中を徘徊しはじめ自からをの後継者であるという啓示を受ける。 「 甘露台人の理」と呼ばれる。 当初は甘露台が人間、ましてや自分自身とは認められない愛治郎であったが、否定すると胸が苦しくなり、居てもたってもいられなくなることから自らを甘露台であると悟るにいたる。 この年は天理教教祖・の115歳の定命が尽きたとされる1912年の翌年にあたり、天啓の継承者が現れるのも当然と考えた。 自らが悟った内容を手紙にし、計66回に渡って教会本部や主要教会に郵送したが天理教内では受け入れられず、所属していた奈良教会は山口宣教所長の辞職勧告をする。 1920年には賛同者も出始め、1922年には天理教本部へ交渉団を派遣するに至るが、ついに翌年に教師資格を剥奪し追放される。 (大正14年)奈良県で「」を研究する「 天理研究会」を発足させる。 (昭和3年)に『研究資料』を発表・配布し、それが、戦争による国家滅亡の危機を予言・警告し、の神格を否定する内容として、天理研究会の会員らと共に検挙される。 不敬罪によって、天理研究会の解散を命じられるも、(昭和5年)、大西愛治郎を精神鑑定の結果、一連の天啓が妄想の産物であるとされ無罪が大審院で判決された。 (昭和11年)「 天理本道」と改称し、布教が本格化。 大西愛治郎の嘗て居た天理教にも布教がなされた。 (昭和13年)『研究資料』と同趣旨の『書信』を発表・配布し、警察当局が国家体制を脅かすものとして、治安維持法違反・不敬罪違反で大西らは再び検挙された。 教団に対しては結社禁止命令が、大西愛治郎に対しては無期懲役が言い渡されたが、(昭和20年)に第二次世界大戦が終結すると全員免訴となった。 (昭和21年)に大阪府高石市に本部所在地を移転し、(昭和25年)に「 ほんみち」と改称。 1950年 昭和25年 11月8日、ほんみち本部は脱税容疑で家宅捜索を受けた。 大西愛治郎は「中山みきの生まれ変わり」として次女・を養育したが、(昭和37年)、大西玉はほんみちより「」として分離・独立した。 大西愛治郎の没後、孫に当たるが教団を率いている。 その後、(昭和52年)に大阪府泉南市牧野の礼拝所を建設。 (昭和54年)に信者ではない者には未公開であった本部を公開し、(昭和55年)から(昭和59年)まで「ほんみち紹介のつどい」や、(平成元年)からは信者同伴を条件として一般の参拝を受け入れる「ほんみち神拝殿一般参拝」などが行われている。 さらに、(昭和62年)には本部に大規模な礼拝所を建設した。 信者の子供は高校進学をせずに中学を出たら信者になるために、泉南市の公立中学校卒業者の高校進学率は82. 1%と、諸島部や限界集落を除けば日本一低い。 また、信者は月の何日かは作業所で働くために職業が制限されてしまっている。 現在ほんみちは本部の外に海外も含めて2支部5出張所を置き(その他巡教会場は多数あり)役員約6千人、信徒約30万人で組織されている。 天理教との相違点・類似点 [ ] 天理教では信者は「ようぼく」と呼ばれるが、ほんみちでは「みち人」と呼ぶ。 その一方で、個人単位の布教活動を「においがけ」、教団施設の維持管理を「ひのきしん」、神が理想とする「陽気世界」(天理教の「陽気ぐらし」と類似)に住むための精神の成長を「心のふしん」と呼ぶ など、大西愛治郎が中山みきを継承した者であると主張するように、天理教と類似点が多い。 法人・組織 [ ] 教祖・教主職 [ ] 教祖は 大西愛治郎。 現教主は大西愛治郎の孫である 大西泰彦。 「大西愛冶郎は大西泰彦に生まれ変わった」と称される。 教主名は「 甘露台」と称される。 参拝所 [ ] 参拝所は、本部以外に宇陀支部・泉南支部・中部出張所・西部出張所・明石出張所・本部直轄関東出張所など2支部5出張所がある。 年間の主な行事 [ ] 出典:• 元旦祭 1月1日• ほんみち年始式 1月2日• 開扉記念式 5月5日• 春季大祭 5月26日• 発祥記念祭 8月15日• 秋季大祭 10月26日 脚注 [ ]• 大島宏之著『この一冊で「宗教」がわかる!』 三笠書房、1996年、250頁• 『新宗教の本 霊能の秘儀と巨大教団の系譜』(学研、2008年)146頁• 村上重良著『日本宗教事典』(講談社、1988年)387頁• ほか編『新宗教事典』(弘文堂、1990年)387頁• 同上、496頁• 同上、500頁• 同上、500頁• 18 P598• 井上順孝ほか偏『新宗教教団・人物事典』(弘文堂、1996年)280頁• 新宗教研究会著『図解新宗教ガイド』(九天社、2006年)134頁• 平成28年度学校基本調査 初等中等教育機関・専修学校・各種学校《報告書未掲載集計》市町村別集計 卒業後の状況調査(中学校)• 井上順孝ほか編『新宗教教団・人物事典』(弘文堂、1996年)281頁• 、新宗教研究会著『図解新宗教ガイド』(九天社、2006年)135頁 参考文献 [ ]• - 宗教情報リサーチセンター• 大島宏之著『この一冊で「宗教」がわかる!』 三笠書房、1996年• 監修『現代にっぽん新宗教百科』 柏書房、2011年• 著『ほんみち不敬罪事件 天皇制と対決した民衆宗教』 講談社、1974年• 村上重良著『新宗教 その行動と思想』 岩波書店、2007年• 別冊宝島編集部編『日本の宗教50 完全パワーランキング 人脈力・資金力・政治力』 宝島社、2017年 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• 『』 - この項目は、に関連した です。 (1814年)• (1840年)• (1857年)• (1859年)• (1869年)• (1872年)• (1873年)• (1880年)• (1882年)• (1882年)• (1892年)• (1900年)• (1905年)• (1908年)• (1916年)• (1927年)• (1930年)• (1930年)• (1932年)• (1935年)• (1941年)• (1945年)• (1946年)• (1947年)• (1948年)• (1948年)• (1949年)• (1952年)• (1952年)• (1954年)• (1955年)• (1957年)• (1958年)• (1970年)• (1970年)• (1972年)• (1984年)• (1985年)• (1999年) 天理系.

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日本の怖い宗教【5つのカルト宗教団体】

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天理教教会本部准員/天理教山名大教会長 諸井 道隆 第9回 おやさま おやさまが見守っていてくださる 先日、私がよく知る台湾のご婦人がこんな話を聞かせてくれました。 その方は、長年、布教師として台湾で多くの人を導いて「おたすけ」をされてきた方ですが、入信する前は、ある病気に侵されて約10年間寝たきりの生活をしていました。 それが病床で見た不思議な夢の導きによって天理教に入信してたすけられたというのです。 その夢とは、何もない寂しい夜の大草原に一人ぼっちになってしまうという夢でした。 暗がりの中で道もなくどうしたらいいのかも分からずに途方に暮れていると、突然東の方から太陽のような温かい光が差してきて、その方向を見ると光の中で和服を来た日本の女性のような人が何かこちらに手招きをして呼んでいるように見えました。 「あっ、あそこに行けば自分はたすけてもらえるかもしれない」 そう思って、光に向かって歩き出すところで目が覚めるという奇妙な夢でした。 それから不思議なことに、これとまったく同じ夢を2回も見たので、これはきっと何かの知らせに違いないと家族に話していました。 するとその翌日、近所の天理教を信仰している人が一緒に教会へお参りしないかと誘いに来てくれたそうです。 ご婦人はもともと天理教には強い偏見を持っていたそうですが、夢のことがあったので、素直に教会へ連れて行ってもらうことにしました。 初めて教会に参拝してお話を聞くと、なぜかもっと教えを知りたいという気持ちになって、その場で日本の天理に行って修養科に入る心を定めました。 そして、この時を境に約10年間苦しんでいた病が快方に向かい、日本に着くころにはすっかり治ってしまうという鮮やかなご守護を頂いたのでした。 修養科に入ってから、教祖伝を学び、おやさまが今でも存命で世界たすけに働いておられることを知って、あの夢の中で呼んでくださった方は、まさにおやさまだったのだと確信したそうです。 この話は、あくまでこの方の個人的な体験にすぎませんが、私は、おやさまがご存命でおたすけにお働きくださっている姿を見せていただいたような気がして心が勇みました。 私たちのおやさま中山みき様は、寛政10(1798)年4月18日に、「おぢば」から3キロほど南にある三昧田の前川家にお生まれになりました。 おやさまは、元初まりに親神様(おやがみさま)が人間を宿し込まれた時に母親の役目をされた、いざなみのみこと様の魂のお方で、ご幼少の頃から人をたすける心一すじの大変慈悲深いお方であられました。 御年13才で、人間宿し込みのいんねんある元の屋敷、中山家の人となられ、御年41才にあたる天保9年(1838)年10月26日、約束の年限の到来によって親神様の啓示を受けられて「月のやしろ」となられました。 月日のやしろとなられたおやさまは、「貧に落ち切れ」との親神様の思召(おぼしめし)のままに、貧しい人々への施しに家財を傾けて貧のどん底に落ち切られ、自ら歩んで「ひながた」の道を示されました。 またその中に不思議な「たすけ」を次々と現されて人々に親神様のご存在と思召を伝え、さらには「よろづたすけ」のための「つとめ」を教えて「たすけ一条」の道をひらかれ、明治20(1887)年陰暦正月26日、御年90才で現身(うつしみ)をおかくしになられました。 しかし、おやさまはそれ以降も、お姿こそ見えませんが生前同様に元の屋敷に留まり、よろづたすけをすると教えられて、今も世界の人々のおたすけの上にお働きくださっています。 このことは、『稿本天理教教祖伝』の最終ページに次のように書かれています。 一列子供を救けたいとの親心一条(おやごころひとすじ)に、あらゆる艱難苦労(かんなんくろう)の中を勇んで通り抜け、万人たすけの道をひらかれた教祖(おやさま)は、尚その上に、一列子供の成人を急込む(せきこむ)上から、今ここに二十五年の寿命を縮めて現身をかくされたが、月日の心は今も尚、そしていついつまでも存命のまま、元のやしきに留まり、一列子供の成人を守護されて居る。 日々に現われて来るふしぎなたすけこそ、教祖が生きて働いて居られる証拠である。 『稿本天理教教祖伝』 336ページ おやさまが、今も存命で生きてお働きくだされている。 このことが現代を生きる私たちにどれだけの勇気と力を与えてくださることか計り知れません。 おやさまは、親神様が人間を宿し込まれた時に、最初の母親の役目をされた魂のお方ですから、現在約75億人にもなると言われる世界中の人間の元の母親であると言えます。 したがって、おやさまの前には、この世のどんな人間もかわいいわが子であり、おやさまは、すべての人間の母親として子どもの成人を願い、いつも絶対的な愛情を注いでくださっているのです。 これは以前に私がある教会の月次祭(つきなみさい)に参拝させていただいたときに起こった出来事です。 祭典が終わって信者さん方と話していると、突然一人の男性が怖い顔で何やら私に突っかかってきました。 その方は、縁あって最近教会に来るようになったという人ですが、素行が悪く、あまり評判の良い人ではありませんでした。 その男性いわく、天理教のおつとめを聞いていたら「心得違いは出直しや」という部分があったが、天理教では死ぬことを「出直し」と言うそうだから、あれは心の間違っている者は死んでやり直せという意味なのか。 そんなことを言う天理教はとんでもない宗教だと不満をぶつけてきました。 よく話を聞くと、その男性は、若い頃からわがまま勝手な生き方をしてたくさんの人に迷惑を掛けてきたらしく、今では奥さんはおろか親兄弟にも見放されて孤独に暮らしているという身の上でした。 そういう方ですから、「心得違いは出直しや」とは、まるで自分のことを言われているようで許せないと言うのです。 そこで私はその男性にこう答えました。 「確かに天理教では、死ぬことを『出直し』と言いますが、しかし、おつとめのこの部分は、直接的な死を言っているのではなくて『一からやり直す』という意味だと思いますよ」 しかし、その人は容易には納得しません。 そこでさらに次のように話しました。 「親神様は、ない人間ない世界をつくられたすべての親なる神様です。 そして、おやさまは、親神様が人間を創られる時に元の母親となられた方ですよ。 いわばおやさまは、私たちを産んでくださった実の母親ですよ。 その親が、子どもが少しぐらい心得違いをしたからと言って、いとも簡単に『死んでやり直しなさい』なんて言うはずがないじゃないですか。 むしろ本当の親ならば、あなたがどんなに救いようのないダメな人間であっても、それでも何とか良くなってもらいたいと思って諦めずに導き続けるはずです。 10人が10人、あなたのことを見捨てても、おやさまだけは最後まであなたのことを見捨てないはずですよ」 話し終えると、男性の目は涙でいっぱいになっていました。 そして強く感ずるところがあったのか、教会の皆にこれまでの非礼な振る舞いを詫びて、心を入れ替えるのでこれからよろしくお願いします、とまで言って晴れやかな顔になって帰っていきました。 何がその男性の心を動かしたのか。 私は、おやさまのご存在の温かさが、男性の氷のように凍てついた心を溶かしてくださったのだと思いました。 難しい理屈や高度な説教ではなくとも、ただおやさまのご存在と親としての愛情をそのまま伝えるだけで人の心を救う大きな力があることを知らされた出来事でした。 人生に間違いや失敗、挫折はつきものです。 しかし、そういう時こそおやさまが私たちにおかけくださっている絶対的な愛を思い出したいものです。 そうすれば、自然に温かいものが込み上げてきて、心に優しさと明るさがよみがえり、生きる力が湧いてきます。 おやさまは、いつでも私たちをお見守りくださっている。 この事実に多くの人が目覚めてくださることを願います。 つづく <Back Number>.

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