トロイ ドナヒュー。 トロイ・ドナヒューとは

60年代アメリカ(1960

トロイ ドナヒュー

Sandra Dee サンドラ・ディー(1942年-2005年) The Living Doll! The Little Angel Face! 可愛い!キュート!という形容がぴったりのアイドル「サンドラ・ディー」は、12歳でモデルになりTVコマーシャルを経て50年代後期にはティーンアイドルとして映画に出演するようになりました。 50年代には北欧系(スウェーデン)のブロンドでぽっちゃりした天使のようなサンドラ・ディーがアイドルの典型で、Tuesday Weld(チューズデイ・ウェルド)やConnie Stevens(コニー・スティーヴンス)なども人気がありましたが、やっぱりサンディが一番親しみやすく、まるで赤ちゃんのように無邪気なおぼこ娘タイプでした。 16歳~20歳頃がピークという早咲きのサンドラ・ディーの映画といえば、アメリカでは1959年のサーフィン映画「Gidget(ギジェット)」、そしてサンドラ・ディーの最大ヒットとされている「A Summer Place(避暑地の出来事)」だそうですが、日本では「Gidget」が劇場公開されなかったので、サンディの映画デビューは「避暑地の出来事」となっています。 カルフォルニアのペブル・ビーチがロケ地だったという「避暑地の出来事」の写真が見られるイタリアの「 サンディは同年「避暑地の出来事」より前に、ラナターナー主演の「(悲しみは空の彼方に)」ででファムファタルを演じたLana Turner(ラナ・ターナー)の娘役を演じています。 当初予定されていた(ナタリー・ウッド)がごねたとかでで新人のサンドラディーにお鉢が廻ってきたそうです。 とはいうものの共演のスーザン・コーナーが白人に見える黒人娘のサラ・ジェーン役を好演してゴールデン・グローブの助演女優賞したのでサンディはみごと霞んでしまいました。 1960年にもラナターナーと「Portrait In Black(黒い肖像)」に出演しましたがこれもあまりパットしませんでした。 この映画ではラヴコメ王のRock Hudson(ロック・ハドソン)とイタリア女優の(ジーナ・ロロブリジーダ)と共演しています。 続けて1962年にボビー・ダーリンとは「If A Man Answers(電話にご用心)」でも共演しました。 「電話にご用心」にはに出演した私の好きなフランス女優のMicheline Presle(ミシュリーヌ・プレール)も出演していますが、この映画にかかわらず当時大人気だったサンディは共演者に恵まれて大物映画スターのオンパレードです。 サンディは立て続けに毎年1~2本のお軽いロマンティックコメディに出演していますが結婚を売り物にしたくないと拒んでいた二人の共演は最後ともいうべき1965年の「That Funny Feeling(おかしな気持)」で実現しました。 1961年にDodd Mitchell Darinという息子を儲けましたがボビーとの結婚は1960年から1967年までと短期間で終局を迎えました。 離婚と共にサンディのアイドル性も急激に失せましたが、70年代には時々TVドラマなどに出演していました。 今時でいえば有名人ブログやアイドル・チャットルームみたいですね。 実際にスターをゲストにチャットするなんてイベントがインターネットであったんですよ。 まだAlly McBeal (アリー my ラブ)が放映されていた2001年頃だったか、MSNチャットでCalista Flockhart(キャリスタ・フロックハート)がゲストになった日にリアルタイムでロム(傍観)していた私でした。 My Worst Marriage Mistakes by Sandra Dee 40人ものお付きに毎日囲まれて全てを任せていた人気アイドルの最盛期に19歳で結婚し、赤ちゃんが赤ちゃんを産んだといわれるサンドラ・ディーですが、アイドル時代の自分を乗り越えられなかった結婚に関する失敗について1962年の映画誌のインタビューで語っていました。 若い女性へのアドバイスとして結婚は思惑通りにはいかないものであるから、困難を乗り越えることと相手を思いやることが一番大事。 結局はスケジュールが合わせにくい人気スター同士のすれ違い生活も離婚の一因なのでしょう。 前夫のダーリンは37歳にして持病の心臓病が悪化して1973年に亡くなりました。 この辺りの二人のエピソードはKevin Spacey(ケビン・スペイシー)のボビーダーリン伝記映画「Beyond the Sea(ビヨンドtheシー)」で語られています。 この映画ではケビン・スペイシーが念願のボビーダーリンに扮し、テレビシリーズの「Gidget(ギジェット)」で人気となり、2002年に映画「Blue Crush(ブルー・クラッシュ)」でサーフィンに情熱をかけるを少女を演じたKate Bosworth(ケイト・ボスワース)がサンドラ・ディー役でした。 そしてサンディはこの映画製作に協力した後に61歳にして肝臓障害で亡くなっています。 永遠なれ、サンドラ・ディー! Gidget カルフォルニアのLos Angeles(ロスアンジェルス)を象徴するのはBlue Crush?、Roxy gear?、Sally Field? そのもっと以前にGidgetがいた! 1938年にMad About Music(アヴェ・マリア)でアカデミーの原案賞にノミネートされたことがある脚本家で作家の「Frederick Kohner(フレデリック・コーナー)」の1957年の小説「Gidget, The Little Girl With the Big Ideas」を元にPaul Wendkos(ポール・ウェンドコス)がサーフィン映画のハシリとなった「ギジェット(ギジット)」を1959年に監督しました。 当時のアイドルスターのサンドラディーや歌手でもあるJames Darren(ジェームス・ダーレン又はダレン)が出演したサーフィン根性ものは、「ギジェット」シリーズとして1961年と1963年にも製作されました。 ジェームス・ダレンが演じたギジェットのボーイフレンドのサーファー野郎のMoondoggie(ムーンドギー)は3作品とも同じですがギジェット役はそれぞれ違います。 ちなみにロックンロールの名づけ親とも言われるAlan Freed(アラン・フリード)のDJ時代の別名がMoondog(ムーンドッグ)だったそうです。 サンドラ・ディーはサーフィンに夢中になるカルフォルニアの快活なお転婆娘のギジェット役です。 (日本で流行った車はダイハツ・ミゼット!) 男の子たちが楽しそうにサーフィンしているのを見てるだけなんて「もうイヤッ!」とギジェットがボーイフレンドからサーフィンを学ぶこの映画「ギジェット」のヒットによりそれまではサーフィンは男子だけだったのが女の子にも広まったそうです。 よってアメリカではサンディーは水着で飛び跳ねているティーンエイジャーの印象が強いようです。 ジェームス・ダーレンが演じたボーイフレンドでギジェットにサーフィンを教えるMoondoggie(ムーンドギー)の名が、宇宙サーフィンをするSFロボット・アニメ「EUREKA SEVEN(エウレカセブン)」にMoon Doggieとして取り入れられているそうです。 日本では70年代になって放映されたそうです。 2006年発売のリージョン1 エンコード 米国、カナダのみ の再生に問題が有るというDVD「Gidget: Complete Series 4pc Full 」というのもあり。 Sandra Dee on Two Beach Movies in 1959 A Summer Place 上記の画像は 原語版VHSビデオの「Gidget」と「A Summer Place(避暑地の出来事)」です。 映画「避暑地の出来事」ではHugo Winterhalter(ヒューゴ・ウィンターハルター又はヒューゴ・ウィンターホルター)が演奏するMax Steiner(マックス・スタイナー)作曲のテーマ曲「A Summer Place(夏の日の恋)」が大ヒットしましたが、主題曲の作曲者であるマックス・スタイナーは戦前から数々の映画で音楽を手掛けていてテレビシリーズの(サンセット77)でもいくつかの曲を提供しています。 監督は1957年のAn Affair to Remember(めぐり逢い)の脚本を担当したDelmer Daves(デルマー・デイヴス)です。 サンディの相手役は当時のアイドル・ナンバーワンの(トロイ・ドナヒュー)で、トロイ・ドナヒューのママ役はDorothy McGuire(ドロシー・マクガイア)です。 サンディのパパ役は1956年に(エルビス・プレスリー)が主演したLove Me Tender(やさしく愛して)でエルヴィスの兄を演じたRichard Egan(リチャード・イーガン)です。 それぞれの親に同伴した避暑地で情熱に身を任せた若者たち二人の恋の結末を描いたラブストーリーですが、なんと結婚前に恋人同士だった彼等の片親同士も焼け木杭 に火が点いて不倫状態となるおまけ付きです。 現代では失われつつあるサンディの純真無垢(無知か)の処女ぶりが共感を呼びました。 その他にも懐かしい曲の数々を演奏したピアニストでバンドリーダーのパーシー・フェイスが演奏するロマンティックな映画音楽を収録したアルバムがあります。 CD画像はサンディとトロイではありません。 (死者の衣服にニコラス・ケイジ演じる囚人ポーが連邦捜査官のラーキン宛にメッセージを) Come September 1961年の「九月になれば」は恋をしているサンドラ・ディーが一番楽しそうに演じているラブコメで、サンドラ・ディーが演じるSandy(サンディー)とボビー・ダーリンが演じるTony(トニー)がイタリアロケの間に実生活でも恋が芽生えて結婚に至った記念すべき映画です。 日本公開当時に映画館に足を運んだのは私みたいなボビー・ダーリンのファンではなかったかと思います。 2005年に発売された日本語字幕版のDVDです。 下の画像は英語版VHSです。 映画「九月になれば」で当時流行りだったスクーターに相乗りしたサンディとボビーのスチール写真が見られるジャズ・サイトの(画像下のリンクはAmazon商品リンク) Audio-Visual Trivia内のサンドラ・ディー関連記事は ケビン・スペイシーのボビー・ダーリン伝記映画「」 カテゴリー タグ 投稿ナビゲーション.

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トロイ・ドナヒューとは

トロイ ドナヒュー

経歴 [編集 ] の映画部長の息子として生まれ、でジャーナリズムを学ぶが、後に演劇に転向する。 1957年に『翼にかける命』で映画デビューし、1950年代後半から60年代前半まで青春映画スターとして活躍する。 特にと共演した『』や、コニー・スティーブンスと共演した『二十歳の火遊び』ではその爽やかな魅力をいかんなく発揮し、一躍人気スターとして若者からの絶大な支持を得る。 テレビドラマでは『』(1960 - 1962)のサンディ・ウィンフィールド役が最も有名。 1963年に『()』で共演したと結婚するが、9ヶ月後に離婚。 健全なアメリカの青春像を演じ順調に歩んでいたものの、1965年を境に俳優として早くも斜陽の時代を迎え始める。 1970年前後より数多くの低予算映画で、変質者や殺人鬼といったかつての姿からは想像もつかない役柄を演じ続けた。 『』でコニー・コルレオーネ()の3人目の夫を演じた。 1992年にはめいたエロティックな映画『不倫への招待状』に出演。 スターの座より転落してからは麻薬とアルコールに溺れて一時は廃人と化したが、その後身を削るような努力と苦労を重ねて更生。 アルコール・麻薬依存に悩む人々のよきアドバイザーとして活躍。 アルコール・麻薬撲滅に尽力した。 2001年9月2日に心臓発作で死去。 65歳没。 北欧系で、金髪で碧眼、端正な顔立ちとスラリとした筋肉質の長身をあわせ持ち、日本でも『パームスプリングスの週末』の主題歌『恋のパームスプリングス』のヒットや、『サーフサイド6』の出演で、若い女性からアイドル的な人気を博した。 (昭和39年)4月に来日している。 に日本の()の(スーパーメモリーシリーズ、編)に出演。 また、(昭和62年)公開の監督の日本映画『』にも出演した。 主な出演作品 [編集 ] 映画 [編集 ] 公開年 邦題 原題 役名 備考 1957 翼に賭ける命 The Tarnished Angels フランク 1958 年頃ですモノ! Grandview, U. エイリアン Dr.

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ユーミンとトロイ・ドナヒュー

トロイ ドナヒュー

実際の年齢よりずっと若く見える甘いマスクのドナヒューはWarner Brothers(ワーナー映画社)のドル箱スターでした。 引き締まったボディのトロイ・ドナヒューは当時流行のビーチムービーの花形となり、1950年代後期から1960年代前半には押しも押されぬティーンのアイドル・スターで、トロイ・ドナヒューの写真が載らない映画雑誌なんて無いくらい人気者でした。 コロンビア大学でジャーナリズムを勉強中にスカウトにされたというトロイ・ドナヒューのメジャーな映画デビューはドナヒューと同じ北欧系(デンマーク)のDouglas Sirk(ダグラス・サーク)監督の1958年の「The Tarnished Angels(翼に賭ける命)」ですが、同じくダグラス・サークが監督した1959年の「(悲しみは空の彼方に)」にも出演しています。 この映画では主役級ではありませんでしたが平素は穏やかな好青年を演じるトロイ・ドナヒューが人種差別をする若者を演じています。 既にティーンアイドルだったサンドラ・ディーと共演した「Summer Place(避暑地の出来事)」によりトロイ・ドナヒューは一躍アイドルスターの座を獲得し、青春メロドラマのプリンスとなりました。 「悲しみは空の彼方に」では「避暑地の出来事」に続いてやはりサンドラ・ディーと共演しています。 ですがトロイ・ドナヒューは「恋愛専科」で共演したスザンヌ・プレシャットと結婚、サンディは19歳で「九月になれば」で共演した(ボビーダーリン)に見染められて結婚したのです。 「避暑地の出来事」の以降、暫くはトロイ・ドナヒューが主演で連続して青春メロドラマが作られましたが、ドナヒューの主なファンは当時大学生でしたから彼女らの成長とともに徐々に離れていき、その次の世代は時代の流れでもっと過激なロックスターに現を抜かすこととなります。 30歳にして早くも体形の崩れたトロイ・ドナヒューは次第に端役に甘んじ、1974年にはFrancis Ford Coppola( フランシス・フォード・コッポラ)監督の「The Godfather Part II(ゴッドファーザーPART II)」に端役で出演しましたが、その名はなんとMerle Johnson(マール・ジョンソン)、つまりトロイ・ドナヒューの本名でした。 そんなこんなで、アルコール依存とドラッグで身を滅ぼすことになり、一時はニューヨークでホームレスにまでなったと伝えられました。 (法的資産凍結?) しかし90年代には再びB級映画に出演してなんとか持ち直したトロイ・ドナヒューでしたが、死因は心臓発作で2001年に65歳で亡くなりました。 ちなみにサンドラ・ディーはボビー・ダーリン伝記映画「(ビヨンドtheシー)」の制作に協力した後、2005年に62歳で腎不全で亡くなっています。 ホノルルを舞台にした「Hawaiian Eye(ハワイアンアイ)」に続いて若者に人気だったのがマイアミ・ビーチの私立探偵を描いた「 SurfSide 6(Surfside Six/サーフサイド・シックス)」で、トロイ・ドナヒューが出演して1960年から1962年まで放映されました。 ハリウッドスターのゲスト出演が魅力のサンセット通り探偵事務所を舞台にした「(サンセット77)」の人気にあやかって制作された「サーフサイド6」はハリウッドの探偵事務所ではなく波止場のクルーザーというのが斬新でした。 「サーフサイド6」のダフネ役のDiane McBain(ダイアン・マクベイン)は1961年の映画「Parrish(二十歳の火遊び)」や1963年の騎兵隊とアパッチ・インディアンとの戦いを描いた「A Distant Trumpet(遠い喇叭)」でもドナヒューと共演しました。 ちょっとおすましの大変洗練された美貌の持ち主でしたが、今現在でもなお信じられないほ綺麗でエレガントなんだそうです。 ドナヒューは同じく1963年にトロイ・ドナヒューが軍曹を演じた「遠い喇叭」で共演した聡明そうな美人女優のSuzanne Pleshette(スザンヌ・プレシェット)の方と結婚しました。 サンドラ・ディーが1961年に「九月になれば」で共演したボビー・ダーリンと電撃結婚をした後のことでした。 美人といえばイングランド出身のRichard Greene(リチャード・グリーン)がロビンフッドを演じた1955年の「The Adventures of Robin Hood(ロビンフッドの冒険)」(CBS)でマリアン姫を演じたアイルランド系女優のPatricia Driscoll(パトリシア・ドリスコル)が1959年に「ハワイアン・アイ(Malihini Holiday)」でゲスト出演(リリアン役)したそうです。 TV番組「サーフサイド6」で主演したトロイ・ドナヒューやダフネを演じたワーナー映画の星だったDiane McBain(ダイアン・マクベイン)などの写真が見られる 「サーフサイド6」と類似した私立探偵のTVシリーズである「ハワイアンアイ」は1959年から1963年まで放映されましたが、1959年というと丁度ハワイがアメリカの州となった時期だったのでお祝いムードも相まって結構人気がありました。 (私的にはハワイが身売りするなんて!) ホノルルが舞台となっていますがハリウッドで撮影された「サンセット77」のハワイ版です。 トロイ・ドナヒューは「サーフサイド6」の後の1962年から1年間を4シーズンのレギュラーメンバーとして出演しています。 ちなみにトロイ・ドナヒューは「サンセット77」にも駐車場係りのKookie(クーキー)の代役としてちょっと出演したこともあります。 なにしろ全部ワーナーの作品ですから「サンセット77」の出演者が「ハワイアン・アイ」にも顔を出しました。 「ハワイアン・アイ」のオリジナルメンバーの写真が見られる 「ハワイアンアイ」のブロンド美女は「Rowdies(ローハイド)」にもゲスト出演したことがあるConnie Stevens(コニー・スティーヴンス)です。 コニー・スティーヴンスの可愛い歌声は(エルヴィス)もお気に入りだったそうです。 コニー・スティーヴンスはエルヴィス・プレスリーだけでなくトロイ・ドナヒューとも友人関係が続きドナヒューが亡くなる前日にも見舞っていたそうです。 トロイ・ドナヒューの出演映画 1957年 The Tarnished Angels(翼に賭ける命) デンマーク出身のDouglas Sirk(ダグラス・サーク)が監督したトロイ・ドナヒューのデビュー作品で、 1956年の「「Written on the Wind(風と共に散る)」に続きRobert Stack(ロバート・スタック)とRock Hudson(ロック・ハドソン)が出演しています。 「翼に賭ける命」の原作は1931年に発表したSanctuary(サンクチュアリ)や1932年のLight in August(八月の光)でお馴染みのアメリカ南部ミシシッピの作家「William Faulkner(ウィリアム・フォークナー)」です。 1939年発表の「The Wild Palms(野生の棕櫚)」も一般に知られているフォークナーが、1935年にスタント飛行ショーの一座を描いた小説「Pylon(パイロン/空の誘惑)」で、唯一の想像上のYoknapatawpha County(分割の地を意味するヨクナパトーファ郡)を舞台にしていない作品だそうです。 それと同時に数々のメロドラマを監督したダグラス・サークの異例ともいえるお涙頂戴色が少ない作品でもあります。 ロック・ハドソンは飛行士野郎と美人妻との三角関係に巻き込まれていくレポーター役を演じました。 フランク・バーナムを演じたトロイ・ドナヒューはチョイ役だったようで情報が見つかりませんが、特筆すべきは特撮飛行スタントだそうです。 1946年の「The Big Sleep(三つ数えろ)」で眼鏡を外し髪を下ろしてボギーの目を見張らせ、「風と共に散る」ではアカデミー助演女優賞を受賞したDorothy Malone(ドロシー・マローン)はパラシュート演技を見せる飛行士(ロバート・スタック)の妻役です。 その後ドロシー・マローンは1961年の「The Last Sunset(ガン・ファイター)」では牧場主(ジョセフ・コットン)の妻を演じています。 The Tarnished Angels(翼に賭ける命)の英語版VHS(ASIN: 6304021690)の他にブルーレイやDVDがあります。 ですが役の上とはいえ、純情可憐なサーファー少女の「Gidget(ギジェット)」を演じたサンドラ・ディーを妊娠させた(劇中で)のでちょっと肩身が狭かったとか。 A Summer Place 上記の画像は1993年に発売された輸入版の「避暑地の出来事」VHSですがこちらも入手は困難です。 (輸入版のDVDもあるが入手困難 ASIN: B00005JN9K) トロイ・ドナヒューは「Hawaiian Eye(ハワイアンアイ)」で共演したコニー・スティーヴンスとのコンビで「二十歳の火遊び」に出演しています。 コニー・スティーヴンスは劇中でパリッシュを誘惑するルーシーで私生児を身ごもった身持ちの悪いです。 「サーフサイド6」のダイアンマクベインがトロイ・ドナヒューと一時的に恋に落ちる高慢ちきな農場の娘アリソン役で出演しています。 というか客寄せの花たちの一人でしょう。 というのも「二十歳の火遊び」は若者たちの恋物語ではなく、Mildred Savage(ミルドレッド・サベイジ)の1958年のベストセラー「Parrish」をデルマー・デイヴス監督が映画化した社会派のドラマなのです。 ちなみに私が初めて観たデルマー作品はが出演した1946年の「赤い家」でした。 ところで「Parrish」という英語の原題はClaudette Colbert(クローデット・コルベール)が演じるマクリーン婦人の息子のParrish McLean(パリッシュ・マクリーン)のことでこれをトロイ・ドナヒューが演じました。 1940年代の煙草畑を舞台にドロドロした紛争を通して若者の成長を描いています。 「二十歳の火遊び」の美しい音楽は「避暑地の出来事」に続いてMax Steiner(マックス・スタイナー)の作曲です。 1943年に「(或る夜の出来事)」の美脚を見せるヒッチハイク・シーンで話題を呼んだClaudette Colbert(クローデット・コルベール)最後の映画出演でした。 コルベールはトロイ・ドナヒューとは1959年に「悲しみは空の彼方に」でも共演しています。 1961年 Susan Slade(スーザンの恋) 「二十歳の火遊び」に続きトロイ・ドナヒューがコニー・スティーヴンスと共演した十代の妊娠を扱った青春物語で分別のある恋愛を説いているような映画です。 スーザン・スレイドは行きずりの恋で妊娠した十代の娘で、相手の男の死亡を知り自殺を企てたところトロイ・ドナヒューに救われます。 1947年にハードボイルドな(ハンフリー・ボガート)主演の「The Petrified Forest(化石の森)」の脚本や「Dark Passage(潜行者)」を監督したデルマー・デイヴィスですが、トロイ・ドナヒューを主役に据えて「スーザンの恋」、同年に「二十歳の火遊び」と「恋愛専科」も監督しています。 サウンドトラックは見つかりませんが、「夏の日の恋」の作曲者であるMax Steiner(マックス・スタイナー)のロマンティックなストリングス音楽がこの映画でも評価されています。 1962年 Rome Adventure(恋愛専科) ページトップの右の画像はロマンス風イタリア観光映画の「恋愛専科」の輸入版(原語)VHSビデオですが現在は入手困難です。 (VHSだとアメリカのAmazon. comでは「ASIN: 6302004373」、DVDではリージョン1のRome Adventure — ASIN: B001QYOY3S) 「恋愛専科」でトロイ・ドナヒューが共演したのは、ちょっと(エリザベス・テイラー)似のSuzanne Pleshette(スザンヌ・プレシェット)でした。 (プレシェットは2008年に呼吸器不全のため70歳で他界) 「恋愛専科」はプラトニックな恋愛をテーマにしたDelmer Daves(デルマー・ディヴィス)監督の青春映画です。 「恋愛専科」のちょっとあらすじ 大学図書館の司書をつとめるスザンヌ・プレシェットがロマンス小説「Lovers Must Learn」(1932 Irving Fineman)を生徒に貸し出したことを大学当局に咎められるシーンで始まります。 偶然乗り合わせた母の友達の息子と隣のイタリア人を取り違えたことから話は展開します。 もっともニューヨークの港を出たところではママからの電報で間違いだと気付き無事二人で窓から自由の女神像を見ました。 ひょんなことからスザンヌ・プレシェットと知り合ったロマンスグレー(中年紳士)が母の友人の息子も誘ってのドライブで名所巡りの後、豪邸に招待されます。 (このプレイボーイは何者?) この時2階からけたたましく駆け下りてきたのがトロイ・ドナヒューが演じる金髪に赤いセーターの大柄なアメリカ青年でした。 元カノにふられていらついていたトロイ・ドナヒューは最初はスザンヌのイタリア語の勉強にもうるさいと怒鳴り込んだのですが、邸宅のディナーの席で隣り合わせになったことからじきに親しくなってジャズクラブに行ったり大きなむく犬のいる本屋の帰りに二人で赤いスクーターから観光バスに乗り換えてイタリア名所巡りを堪能しました。 ところが、その後に問題が起きます。 トロイ・ドナヒューにセクシーな年上のガールフレンドがいたことを知りショックを受けたスザンヌ・プレシェットはイタリア風恋愛テクニックを学ぼうと一度はスザンヌに言い寄ってきたロマンスグレーのもとを訪れますがプレイガールにならないようにと諭されてしまいます。 傷心のスザンヌ・プレシェットはアメリカへと戻ったのですが港にはなんとイタリアにいるはずのトロイ・ドナヒューが待っていたのです。 中年のプレイボーイを演じたのは一世を風靡したイタリア人の歌手で映画俳優のRossano Brazzi(ロッサノ・ブラッツィ)です。 ロッサノ・ブラッツィは1955年の「Summertime(旅情)」ではA. 最初は二人がロッジで物売りから買ってしまった蜀台を手に入ったJazz Jointクラブのシーンです。 (アル・ハートはニューオリンズ出身のジャズ・トランペッター) アルが二人に紹介したガーターベルトにナイフを挿したセクシー美女がアルの恋人らしくアルの演奏中に浮気したので乱闘が始まってしまいます。 そこで蝋燭立てを手に二人は慌てて店を出て馬車で邸宅に戻ることに。 「恋愛専科」でトロイ・ドナヒューの年上の恋人を演じたアンジー・ディキンソンは男女問わず好かれるお洒落なタイプの女優で50年代にはフットボール選手と結婚、その後に1980年までBurt Bacharach(バート・バカラック)と結婚していましたがFrank Sinatra(フランク・シナトラ)との関係なども有名です。 Schuster(ハロルド・シュスター)監督の「The Return of Jack Slade(拳銃稼業)」や1960年にシナトラが主演した「(オーシャンと十一人の仲間)」などたくさんの映画に出演していますが、私は1980年にBrian De Palma(ブライアン・デ・パルマ)が監督した「Dressed to Kill(殺しのドレス)」が印象に残ります。 エミリオ・ペリコーリのアルディラを収録した輸入盤アルバムは「Emilio Pericoli, El Triunfador De San Remo, Al Di La — Il Mondo — Arrivederci」(ASIN: B000002F89)や、試聴が出来るカンツォーネのコンピレーションCD「」があります。 1960年の「La Dolce Vita(甘い生活)」でのMarcello Mastroianni(マルチェロ・マストロヤンニ)も乗ったそうです。 パリでも1958年に(パスカル・プティ)が演じた私の好きな「Les Tricheurs 危険な曲り角 」のミックも、1958年の「En cas de malheur(可愛い悪魔)」ではJean Gabin(ジャン・ギャバン)と(ブリジッド・バルドー)も乗っていました。 70年代の中頃に天下のソフィア・ローレンがラッタッターッとホンダ・ロードパルという500ccスクーター(原付バイク?)のコマーシャルでお茶の間に登場しました。 そういえば日本では「隠密剣士」の大瀬康一が主演した昭和30年代のテレビのヒーローだった月よりの使者「月光仮面」や、次に現れたウーヤーターッの「少年ジェット」もスクーターでした。 とはいえトロイ・ドナヒューは最低でも4度ほど結婚しているそうですし、晩年にゲイ説を否定しています。 晩年に肺がんと闘ったスザンヌ・プレシェットは2008年に亡くなりましたが、子供時代からブロードウェイなどの芝居に参加していた頃、(ジェリー・ルイス)の目に止まって1958年にFrank Tashlin(フランク・タシュリン)監督の「The Geisha Boy(底抜け慰問屋行ったり来たり)」に軍曹役でデビューしました。 スザンヌ・プレシェットは1963年にAlfred Hitchcock(ヒッチコック)の「The Birds(鳥)」で鳥に目玉をえぐられた教師役を演じた後、1965年に「A Rage to Live(生きる情熱)」で恋多き富豪の娘役で主演し、1970年代にテレビの「Bob Newhart Show(ボブ・ニューハート・ショー)」に5年間出演していて2007年のショーの同窓会には肺がんに侵されながらも車椅子で出演したそうです。 (2008年に70歳で他界) 1963年 Palm Springs Weekend(パームスプリングの週末) トロイ・ドナヒューが1961年の「スーザンの恋」に続いて「ハワイアンアイ」コンビのコニー・スティーヴンスと共演した青春ドラマです。 27歳のトロイ・ドナヒューが大学のバスケ選手を演じ、当時25歳のコニー・スティーヴンスが高校生を演じた、イースター休暇をパームスプリングで過ごす若者たちのハッピーな映画です。 1960年代のTV西部劇シリーズの「Bronco(ブロンコ)」や、1962年にGeorge Cukor(ジョージ・キューカー)が監督でEfrem Zimbalist Jr. (エフレム・ジンバリスト・ジュニア)主演の「The Chapman Report(チャップマン報告)」に出演したTy Hardin(タイ・ハーディン)も出演しています。 英語版のPalm Springs Weekend(パームスプリングの週末)DVD(リージョン2) 注、下記の画像はVHSです。 1967年 Come Spy With Me 最後に、カリブ海のジャマイカを舞台にトロイ・ドナヒューがスキューバ・ダイバー向けチャーター・ボートの持ち主ピート・バーカーを主演した日本未公開のアクション・スパイ映画は「Come Spy With Me(カム・スパイ・ウィズ・ミー)」ですが、シルエットを使ったオープニング以外はどえらい酷評を受けたそうです。 スパイに誘拐されるサマンサを撮影当時数年間ドナヒューと結婚していたValerie Allen(ヴァレリー・アレン)が演じています。 「Come Spy With Me」は輸入盤DVD(ASIN: B00GCGP1OQ)以外は情報もVHSビデオもありませんが、映画情報や写真やポスターが見られる カテゴリー タグ 投稿ナビゲーション.

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