ま ふま ふ サクリファイス 歌詞。 サクリファイス / Sacrificeの歌詞和訳

サクリファイス まふまふ 歌詞情報

ま ふま ふ サクリファイス 歌詞

言葉を話せなかった少年が再び言葉を話せるようになるまでの1日。 カンヌの上映では、タルコフスキーの自画像、現代のルブリョフ像、核時代への黙示録と絶賛され、授賞式では、ソ連から出国し、病床の父にかわって舞台にあがった息子アンドレイ 愛称はアンドリューシャで、父アンドレイはこの映画を彼に捧げている が満場の心からの拍手を浴びた。 『ノスタルジア』についてのインタビューでタルコフスキーは語っている。 《この分かたれた世界で人が人といかにして理解しあえるのか? 互いにゆずりあうことでしか可能でないでしょう。 自らをささげ、犠牲とすることのできない人間には、もはや何もたよるべきものがないのです。 私自身が犠牲をなしうるか? それは答えにくい事です。 私にもできないことでしょうけれども、そうなれるようにしたいと思います。 それを実現できずに死を迎えるのは実に悲しい事でしょう》。 ドイツのTIPのインタビューでこう語った時、タルコフスキーは次回作としてスウェーデンでの《ハムレット》映画化の企画をあげている。 82年に母国ソ連を出て、イタリアで『ノスタルジア』 83 を完成した後、タルコフスキーは夫人ラリーサとともに西欧に残り、《ハムレット》映画化と《ボリス・ゴドノフ》の上演でさらに3年間仕事をしなければならないために、息子アンドレイとラリーサ夫人の母親を西欧に呼びよせようとするが、ソ連当局の許可が降りずに、ついに84年7月ミラノで、事実上の亡命宣言をした事は世界中に伝えられた。 《ハムレット》の構想から発展した『サクリファイス』の脚本をタルコフスキ一がイタリアで書いたのは84年1月から2月にかけてのこと。 映画化はスウェーデン、フランスを中心とする数ヵ国の製作参加で、脚本は亡命宣言後も形を変えずに進められ、撮影は85年5月、スウェーデンの南の、バルト海でソ連をのぞむゴトランド島で開始された。 配役からスタッフ構成、音楽や衣裳まで、スウェーデン、フランス、イギリス、アイスランド、日本まで加えて、国籍を超えた映画づくりだが、タルコフスキーは言う。 主人公アレクサンデル役には『ノスタルジア』につづいてエルランド・ヨセフソン。 撮影のスヴェン・ニクヴィスト、美術のアンナ・アスプ、プロデューサーのカティンカ・フアラゴ女史らとともに、ベルイマン映画の常連で、スウェーデンを代表する映画人たちだ。 不思議な郵便夫オットー役にはスウェーデンの名舞台俳優で、映画はバイプレイヤー役が多く、監督作品が2本あり、小説家でもあるアラン・エドヴァル。 妻アデライデのスーザン・フリートウッドは英国の名門ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの花形女優で映画出演は『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』など数少ない。 医師ヴィクトル役はスウェーデンの舞台俳優で、映画は若手監督の意欲作への出演が多いスヴェン・ヴォルテル。 魔女マリアのグドルン・ギスラドッティルはアイスランドの舞台女優で映画は初出演。 小間使ジュリアはフランスから『歌う女・歌わない女』のヴァレリー・メレッス。 音楽はスウェーデンの民俗音楽と日本の海童道宗祖の法竹 尺八 が夢幻シーンでたくみに使われ、ハンガリー出身のユリア・ハマリが歌うバッハの<マタイ受難曲>の<神よ、私のこの涙にかけて憐れみぐださい>が限りなくやさしく美しい。 最初のクレジットのバックの絵はレオナルド・ダ・ヴィンチの<東方の三賢人の礼拝>で、アレクサンデルの書斎にも複製がかざられているが、タルコフスキーの意図による彩色がほどこされていると思われる。 夢と現実、あるいは夢から夢ヘ、いく層にも色彩世界を重ねていくタルコフスキーの色彩美は、『ノスタルジア』をへて、『サクリファイス』で他の誰も到達しない頂点に達したと言えるだろう。 魂の傑作『サクリファイス』をフランスの<カイエ・デュ・シネマ>誌は86年度のベストワン映画に選び、イギリスのくインターナショナル・フィルム・ガイド>はくザ・フィルム・オブ・ザ・イヤー>に選んでいる。 スウェーデンの南、バルト海をのぞむゴトランド島。 初夏の日射しをあびながら、誕生日を迎えたアレクサンデルが息子の少年と枯れた松の木を植えている。 かっては<リチャード三世>や<白痴>のムイシキン公爵の役で大成功した名優だったが、突然引退して、今は評論家、大学教授として、この静かな島に暮らしている。 そこに郵便夫のオットーが何通めかの祝電をもってやってくる。 無神論者というアレクサンデルに、オットーはニ一チェの永劫回帰の話をもちだす。 親友の医師ヴィクトルを案内して妻のアデライデがくるが、アレクサンデルは子供と散歩を続け、独白をやめない。 力と物質だけで進む文明を恐れ、自分のむなしい言葉を呪う。 父をおどかそうとして飛びつく子供に鼻血をださせてしまって昏倒するアレクサンデル。 暴力と恐怖の最初のイメージ……。 ヴィクトルのプレゼントのルブリョフのイコン画集にみとれるアレクサンデル。 アデライデは舞台の名声をおしげもなく捨てた夫に今でも不満を抱いている。 仲裁に入るヴィクトル、だが、彼も近々遠くオーストラリアに去ることをほのめかす。 娘マルタも、小間使のジュリアも、魔女と噂される召使のマリアも、夫婦の不仲には慣れている。 オットーが自転車で大きな地図を運んでやってくる。 17世紀の本物のヨーロッパの地図だ。 高価すぎてこのプレゼントは受けとれないと、アレクサンデルは辞退するが、犠牲がなければプレゼントではないとオットー。 彼は、郵便夫は仮の姿で、本職は超自然現象の蒐集家だという。 急に姿が見えなくなった子供をアレクサンデルが探す間、オットーは不思議な出来事を語り、突然失神して倒れる。 悪い天使の翼が触れたのだ……。 テーブルの上のグラスが音をたてはじめる。 激しい地鳴りと轟音。 戸棚の水差しが落ち、ミルクが床いっぱいにひろがる。 白夜の戸外。 アレクサンデルは自分の家とそっくりの小さな家をみつける。 神の仕業か? 家へ帰ろうとして通りかかった召使のマリアが、子供が誕生日のプレゼントに作ったのだという。 子供は2階のベッドで深く眠っていた。 アレクサンデルの書斎の壁にはダ・ヴィンチの絵。 異様な声が流れている。 アレクサンデルが1階のサロンに降りていくと、テレビは、核戦争の非常事態が発生してしまったと首相の声を伝えて消える。 通信が途絶えた。 電話も電気も通じない。 パニックに陥る人々。 アデライデに、小間使ジュリアの助けでヴィクトルは鎮静剤を打つ。 アデライデは、いつも自分の願望とは逆をし、愛してない男と結婚し、自分を守るために何かと戦ってきた、愚かだったと問わず語りに告白する。 落ち着きをとりもどしたかに見えるアデライデだが、子供をおこして食事に、というと小間使のジュリアは、坊やはそっとしておいてと目に涙をためて抗議する。 ジュリアの心がわかってアデライデは彼女をやさしく抱きしめる。 アレクサンデルはヴィクトルの診療カバンにピストルをみつける。 子供は苦しんで眠っている。 隣室ではヴィクトルを誘って服をぬぐマルタ。 アレクサンデルの口をついて、はじめて神への願いが発せられる。 私の持てるものすべてを犠牲にささげますから、愛する人々を救ってください、家も、家族も、子供も、言葉も、すベてを捨てますと誓う。 力つきはててソファに倒れこみ、夢の中に歩み入るアレクサンデル……。 自分を起こしにくるオットー。 彼は、まだ最後の望みは残されている、召使のマリアが救える、彼女の家に行き、彼女を愛せ、と。 オットーの自転車でマリアの家を尋ねたアレクサンデルは、マリアの前で母の思い出を話す。 病気の母のために庭を耕したことが、かえって自然の美しさを壊すことに終った苦い思い出に、黙って耳を傾けていたマリアの目に涙が光る。 アレクサンデルは、マリアの前にぬかづき、ピストルをこめかみにあてて、救って下さいと頼む。 抱きあうふたりの身体が空中に浮かんでいく……。 最後の朝。 目ざめたアレクサンデルのまわりには朝の光があふれ、すべては昨日と同様に平静だ。 |||||監督作品: | | | | | | | | 関連ドキュメンタリー作品: |.

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サクリファイス

ま ふま ふ サクリファイス 歌詞

楽曲の基本情報 冒頭でも述べましたが、本楽曲は、アニメ 『かつて神だった獣たちへ』のオープニングテーマに起用されています。 そして、擬神兵だった父を彼に殺された少女、シャール。 父が殺された意味を知るため、シャールは、ハンクと共に旅することを決意する! そんな ダークファンタジーとなっており、 オープニングである 「サクリファイス」は 世界の身勝手さ、それに伴う犠牲や憤り を表現しているとのことです。 それが、まふまふによってどのように綴られているのでしょうか。 さっそく楽曲考察に移っていきましょう。 楽曲名「サクリファイス」とは 「サクリファイス」とは 神にいけにえをささげること。 という意味になっています。 この楽曲名が歌詞の内容と どう関与しているのでしょうか。 また、下の段が心に刺さる。 これは、かつて神と呼ばれていた擬神兵たちのことが描かれています。 彼らは戦争時代は、讃えられていたのに、現在では、圧倒的すぎる力ゆえに「獣」と蔑まれるようになってしまいました。 命をかけて戦ったのに報われない そんな、苦痛が描かれているのです。 もしくは、強すぎるが故に狙われてしまう、擬神兵たちの嘆きかも知れません。 サビ1 歪んだ運命は 幾つもの禁忌の翼 望まれかざした刃が 手のひらを返して罪と成る それは 辻褄が神に背きだすカルマ たとえ狂いない未来としても 正鵠に射かける どうして ボクの名前を呼んでよ まだ脳裏に焼きつく 憧憬 作詞作曲:まふまふ 歪んだ運命は 幾つもの禁忌の翼 望まれかざした刃が 手のひらを返して罪と成る この文は、擬神兵たちのことですね。 英雄として戦っていたのに、それが罪となってしまうわけですから、このやるせなさは当然ですね。 また、難しい言葉が羅列されてますね。 一つ一つ紐解いていくと カルマとは、宿命のこと。 正鵠を射るとは、物事の急所を正確につくこと。 憧憬とは、あこがれの気持ちを表す。 最後の一文は、擬神兵が神と称えられ、皆の憧れだったときの記憶が述べられているのではないでしょうか。 スポンサーリンク 2番 くだらない夢の続きや あの丘目指して ボクらは笑えたはずだったのに 疑い 疑われては鍵かける今日だ 爆弾でしか戸を叩けずに どこかで間違えていたんだ 作詞作曲:まふまふ 他愛のない会話で笑い合えた情景は今ではありません。 鍵をかける今日とは、疑心暗鬼に陥って周囲を信じれなくなっている状態のことを意味するのでしょう。 簡単には心を開けない状態になってしまっているため、爆弾で叩くとあるように、外部からの大きな刺激を取り入れることでしか、素直になることができなくなってしまっています。 戦争の英雄と言っても、数々の命をその手で奪ってきたことには変わりありません。 愛しい自分の子供すらあやせもしない自分を皮肉に感じているのでしょう。 ナンシーの父が頭に浮かびました。 サビ2 空は青より灰色と記憶した翼 祟り目 奪った代償に もうボクはボクでいられない それはかつて名を持った 贖罪と輪廻 以後いかなる幸せでも この手では触れない どうして 君と会ってしまったの 喉元に焼きつく 硝煙 作詞作曲:まふまふ 通常、空というと青が連想されます。 しかし、ここでは「灰色」とあります。 これは、駆け抜けてきた空が、青々とした平和ではなく、殺風景な内戦時代だったことを象徴しています。 また、難しい単語が多々ありますね。 贖罪とは、罪を償うこと。 輪廻とは、霊魂が,人間,動物あるいは場合によっては植物などと,1つもしくはそれ以上の存在に次々に生れ代っていくとする思想のこと。 硝煙とは、火薬の発火によって生じる煙のこと。 を、それぞれ意味します。 罪を背負って生きていく事を覚悟していると同時に、君と出会ってしまったせいで、硝煙という決して消えない内戦時代の過去を悔やんでしまっています。 3番 これだけの苦痛を抱え込んで 生まれた意味などはないと知った 血塗られた今日日を血で洗って 生まれた意味などはないと知った 何ひとつも救えないくせして 十字架ばかりを背負っていこうと 何者にもなれないと知った 処刑台が嗤い 手招いている 作詞作曲:まふまふ 心苦しくなるような悲痛が描かれています。 まさに擬神兵目線の歌詞なのですが、• 生まれたことを否定するしかない• 十字架を背負うことでしか生きれない そんな情景がストレートに表現されています。 非常に辛いですがそれが運命なのです。 歌詞解釈を通すと見えてきましたが タイトル 「サクリファイス 生け贄 」は 国の為に犠牲になった擬神兵のこと を意味していたのですね。 まとめ 曲全体を通して、擬神兵目線の内容でしたね。 戦争があっている頃は、戦力として求められていたのに、平和になった途端に恐れられて迫害されてしまうなんて、本当に辛い状況ですよね。 こうして改めて、擬神兵目線に立つことで、ダークファンタジーである『かつて神だった獣たちへ』の救われない世界観に、寄り添うことができたような気がします。

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サクリファイス 歌詞「まふまふ」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

ま ふま ふ サクリファイス 歌詞

言葉を話せなかった少年が再び言葉を話せるようになるまでの1日。 カンヌの上映では、タルコフスキーの自画像、現代のルブリョフ像、核時代への黙示録と絶賛され、授賞式では、ソ連から出国し、病床の父にかわって舞台にあがった息子アンドレイ 愛称はアンドリューシャで、父アンドレイはこの映画を彼に捧げている が満場の心からの拍手を浴びた。 『ノスタルジア』についてのインタビューでタルコフスキーは語っている。 《この分かたれた世界で人が人といかにして理解しあえるのか? 互いにゆずりあうことでしか可能でないでしょう。 自らをささげ、犠牲とすることのできない人間には、もはや何もたよるべきものがないのです。 私自身が犠牲をなしうるか? それは答えにくい事です。 私にもできないことでしょうけれども、そうなれるようにしたいと思います。 それを実現できずに死を迎えるのは実に悲しい事でしょう》。 ドイツのTIPのインタビューでこう語った時、タルコフスキーは次回作としてスウェーデンでの《ハムレット》映画化の企画をあげている。 82年に母国ソ連を出て、イタリアで『ノスタルジア』 83 を完成した後、タルコフスキーは夫人ラリーサとともに西欧に残り、《ハムレット》映画化と《ボリス・ゴドノフ》の上演でさらに3年間仕事をしなければならないために、息子アンドレイとラリーサ夫人の母親を西欧に呼びよせようとするが、ソ連当局の許可が降りずに、ついに84年7月ミラノで、事実上の亡命宣言をした事は世界中に伝えられた。 《ハムレット》の構想から発展した『サクリファイス』の脚本をタルコフスキ一がイタリアで書いたのは84年1月から2月にかけてのこと。 映画化はスウェーデン、フランスを中心とする数ヵ国の製作参加で、脚本は亡命宣言後も形を変えずに進められ、撮影は85年5月、スウェーデンの南の、バルト海でソ連をのぞむゴトランド島で開始された。 配役からスタッフ構成、音楽や衣裳まで、スウェーデン、フランス、イギリス、アイスランド、日本まで加えて、国籍を超えた映画づくりだが、タルコフスキーは言う。 主人公アレクサンデル役には『ノスタルジア』につづいてエルランド・ヨセフソン。 撮影のスヴェン・ニクヴィスト、美術のアンナ・アスプ、プロデューサーのカティンカ・フアラゴ女史らとともに、ベルイマン映画の常連で、スウェーデンを代表する映画人たちだ。 不思議な郵便夫オットー役にはスウェーデンの名舞台俳優で、映画はバイプレイヤー役が多く、監督作品が2本あり、小説家でもあるアラン・エドヴァル。 妻アデライデのスーザン・フリートウッドは英国の名門ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの花形女優で映画出演は『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』など数少ない。 医師ヴィクトル役はスウェーデンの舞台俳優で、映画は若手監督の意欲作への出演が多いスヴェン・ヴォルテル。 魔女マリアのグドルン・ギスラドッティルはアイスランドの舞台女優で映画は初出演。 小間使ジュリアはフランスから『歌う女・歌わない女』のヴァレリー・メレッス。 音楽はスウェーデンの民俗音楽と日本の海童道宗祖の法竹 尺八 が夢幻シーンでたくみに使われ、ハンガリー出身のユリア・ハマリが歌うバッハの<マタイ受難曲>の<神よ、私のこの涙にかけて憐れみぐださい>が限りなくやさしく美しい。 最初のクレジットのバックの絵はレオナルド・ダ・ヴィンチの<東方の三賢人の礼拝>で、アレクサンデルの書斎にも複製がかざられているが、タルコフスキーの意図による彩色がほどこされていると思われる。 夢と現実、あるいは夢から夢ヘ、いく層にも色彩世界を重ねていくタルコフスキーの色彩美は、『ノスタルジア』をへて、『サクリファイス』で他の誰も到達しない頂点に達したと言えるだろう。 魂の傑作『サクリファイス』をフランスの<カイエ・デュ・シネマ>誌は86年度のベストワン映画に選び、イギリスのくインターナショナル・フィルム・ガイド>はくザ・フィルム・オブ・ザ・イヤー>に選んでいる。 スウェーデンの南、バルト海をのぞむゴトランド島。 初夏の日射しをあびながら、誕生日を迎えたアレクサンデルが息子の少年と枯れた松の木を植えている。 かっては<リチャード三世>や<白痴>のムイシキン公爵の役で大成功した名優だったが、突然引退して、今は評論家、大学教授として、この静かな島に暮らしている。 そこに郵便夫のオットーが何通めかの祝電をもってやってくる。 無神論者というアレクサンデルに、オットーはニ一チェの永劫回帰の話をもちだす。 親友の医師ヴィクトルを案内して妻のアデライデがくるが、アレクサンデルは子供と散歩を続け、独白をやめない。 力と物質だけで進む文明を恐れ、自分のむなしい言葉を呪う。 父をおどかそうとして飛びつく子供に鼻血をださせてしまって昏倒するアレクサンデル。 暴力と恐怖の最初のイメージ……。 ヴィクトルのプレゼントのルブリョフのイコン画集にみとれるアレクサンデル。 アデライデは舞台の名声をおしげもなく捨てた夫に今でも不満を抱いている。 仲裁に入るヴィクトル、だが、彼も近々遠くオーストラリアに去ることをほのめかす。 娘マルタも、小間使のジュリアも、魔女と噂される召使のマリアも、夫婦の不仲には慣れている。 オットーが自転車で大きな地図を運んでやってくる。 17世紀の本物のヨーロッパの地図だ。 高価すぎてこのプレゼントは受けとれないと、アレクサンデルは辞退するが、犠牲がなければプレゼントではないとオットー。 彼は、郵便夫は仮の姿で、本職は超自然現象の蒐集家だという。 急に姿が見えなくなった子供をアレクサンデルが探す間、オットーは不思議な出来事を語り、突然失神して倒れる。 悪い天使の翼が触れたのだ……。 テーブルの上のグラスが音をたてはじめる。 激しい地鳴りと轟音。 戸棚の水差しが落ち、ミルクが床いっぱいにひろがる。 白夜の戸外。 アレクサンデルは自分の家とそっくりの小さな家をみつける。 神の仕業か? 家へ帰ろうとして通りかかった召使のマリアが、子供が誕生日のプレゼントに作ったのだという。 子供は2階のベッドで深く眠っていた。 アレクサンデルの書斎の壁にはダ・ヴィンチの絵。 異様な声が流れている。 アレクサンデルが1階のサロンに降りていくと、テレビは、核戦争の非常事態が発生してしまったと首相の声を伝えて消える。 通信が途絶えた。 電話も電気も通じない。 パニックに陥る人々。 アデライデに、小間使ジュリアの助けでヴィクトルは鎮静剤を打つ。 アデライデは、いつも自分の願望とは逆をし、愛してない男と結婚し、自分を守るために何かと戦ってきた、愚かだったと問わず語りに告白する。 落ち着きをとりもどしたかに見えるアデライデだが、子供をおこして食事に、というと小間使のジュリアは、坊やはそっとしておいてと目に涙をためて抗議する。 ジュリアの心がわかってアデライデは彼女をやさしく抱きしめる。 アレクサンデルはヴィクトルの診療カバンにピストルをみつける。 子供は苦しんで眠っている。 隣室ではヴィクトルを誘って服をぬぐマルタ。 アレクサンデルの口をついて、はじめて神への願いが発せられる。 私の持てるものすべてを犠牲にささげますから、愛する人々を救ってください、家も、家族も、子供も、言葉も、すベてを捨てますと誓う。 力つきはててソファに倒れこみ、夢の中に歩み入るアレクサンデル……。 自分を起こしにくるオットー。 彼は、まだ最後の望みは残されている、召使のマリアが救える、彼女の家に行き、彼女を愛せ、と。 オットーの自転車でマリアの家を尋ねたアレクサンデルは、マリアの前で母の思い出を話す。 病気の母のために庭を耕したことが、かえって自然の美しさを壊すことに終った苦い思い出に、黙って耳を傾けていたマリアの目に涙が光る。 アレクサンデルは、マリアの前にぬかづき、ピストルをこめかみにあてて、救って下さいと頼む。 抱きあうふたりの身体が空中に浮かんでいく……。 最後の朝。 目ざめたアレクサンデルのまわりには朝の光があふれ、すべては昨日と同様に平静だ。 |||||監督作品: | | | | | | | | 関連ドキュメンタリー作品: |.

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