ダビンチコード。 地下室に隔離された9人の翻訳家たち…「ダ・ヴィンチ・コード」シリーズ出版秘話に基づくミステリー、20年1月公開 : 映画ニュース

「ダビンチ・コード」まとめ「俗」と「聖」の整理

ダビンチコード

そこで2本のビデオを借りる。 1本は、『ダビンチ・コードの謎』、 それにもう1本は、その補足版。 2本とも見たが、途中で、あくび。 どうしてこんな本が、世界で 1000万部以上も売れたのだろう……?、 と思ったのが、ビデオを見終わったときの、 私の率直な感想。 +++++++++++++++++ 今、世間で騒がれている本に、『ダビンチ・コードの謎』がある。 レオナルド・ダ・ビンチの描き残した絵画の中には、ダビンチが暗号として残した秘密が隠されているという。 で、何人かの研究家が登場して、その謎を解説。 メインとなった絵画は、言わずと知れた、『最後の晩餐』。 ダビンチが描いた絵画の中でも、もっとも大作であると同時に、有名な絵画である。 原画は、イタリアのサンタ・マリア・デラ・グラツィエ教会に所蔵されているという。 その『最後の晩餐』の中央には、イエス・キリストが座っている。 で、ビデオ『ダビンチ・コードの謎』は、つぎのような謎が、この絵画の中に隠されていることを順に説明する。 (ビデオの正式のタイトルは、『ダ・ヴィンチ・コードの謎』となっている。 ) (1) キリストの右側、(向かって左側)、そこに座っているのは、マグダラのマリアだという。 マリアは、娼婦ということになっているが、実際には、聖なる愛人、つまりイエス・キリストの妻的な存在だったという。 (2) ダビンチの自画像が、絵画の向かって右端のほうに描かれているが、そのダビンチは、イエス・キリストから顔をはずして、外側に向いている。 解説者の説明によれば、これはダビンチが、反キリスト教の立場であることを示したものだという。 (3) 絵画全体の構図が、(M)の形をしているのは、絵画全体で、「マリア」を示したものだという(これは本の中でそう説明している)。 つまりダビンチは、(M)という文字を構図にすることによって、マリアがふつうの存在ではなかったことを言いたかったのだという。 (4) イエス・キリストとマリアの服装が、ちょうど逆になっている。 形と色が、正反対になっている。 それについて、ビデオの中では、たしかこう説明していた。 「これはテーブルの下で、腰と腰がつながっているためだ」と。 (ギョッ! もしそうなら、最後の晩餐で、イエス・キリストが、テーブルの下で、マリアとセックスをしていたことになる!) (5) ナイフの謎や、それからマリアの首にかかる手の謎についても、解説していた。 ナイフは、だれかの腹を刺そうとしているものだとか、マリアの首にかかった手は、マリアの首を切ろうとしているものだ、とか。 (6) マリアとの間に生まれたイエス・キリストの子孫が、今でも生き残っているという。 そして独自の宗教活動をしているという。 全体を見た印象としては、(こじつけ)。 (こじつけ)の連続。 「そうかなあ?」とか、「少し考えすぎではないのかなあ?」と、そのつど、思った。 たしかに当時は、つまりダビンチがこうした絵画を描いた時代には、反キリスト教的なことを口にしたり、絵に描いたりすることは、不可能に近かったかもしれない。 国全体が、狂信化していた時代である。 それでダビンチは、自分の描いた絵画の中に、自分の思いを、さまざまな暗号として、それを、描きこんだ。 そういう理屈なら、私にもわかる。 しかしだからといって、それがどうだというのか? マグダラのマリアにしても、私たちがもっている常識によれば、マリアは、娼婦だった。 そのマリアをイエス・キリストは救った。 以後、マリアは、つかず、離れずして、イエス・キリストの世話をつづける。 現代のように、社会制度が整った時代ではない。 だからそういうマリアを、どういう存在であったかを論ずるのは、あまり意味がないのではないか。 ビデオの中では、「聖なる愛人」というような言い方をしていたが、妻であっても、何ら、おかしくない。 だいたい、「聖なる愛人」とは何か? 愛人に「聖なる愛人」も、「そうでない愛人」もない。 またこまかい話だが、(『ダビンチ・コードの謎』の中では謎としているので)、ナイフにしても、テーブルに上にころがっている果物(?)の皮をむく道具であったと考えても、何らおかしくない。 「腕の位置がおかしい」と解説者は説明していたが、私は、おかしくないと思う。 ほかに「あるべき肝心の聖杯がない」とか、「ブドウ酒とパンがない」とか、など。 要するに、『ダビンチ・コードの謎』は、ダビンチ自身が、無神論者か、あるいは反キリスト教的な立場にあったことを、言いたいらしい。 が、それについても、同じことが言える。 だからといって、それがどうだというのか、と。 つまりそれほど、大げさに考えなければならない問題ではない。 仮にマリアが、「聖なる愛人」であったとしても、あるいは「妻」であったとしても、それでキリスト教全体が、ひっくりかえるということはありえない。 さらに『ダビンチ・コードの謎』は、洗礼者ヨセフと、イエス・キリストの関係についても、あれこれ、疑問を投げかけている。 私たちが知っている常識によれば、ヨセフは、イエス・キリストに洗礼をほどこした洗礼者である。 つまりその時点で、ヨセフの使命は終わったということになっている。 どちらが上で、どちらが下というわけではないが、イエス・キリストを(神の子)とするなら、ヨセフは、ただの預言者。 もしくは洗礼者にすぎない。 が、『ダビンチ・コードの謎』の中で、1人の研究者が、「そうではなかったのではないか」というようなことを述べている。 「ヨセフのほうがイエス・キリスよりも、立場が上だったかもしれない?」と。 しかしこれについても、またまた、同じことが言える。 だからといって、それがどうだというのか、と。 宗教というのは、(教え)にそってするもの。 すべては(教え)によって始まり、(教え)によって終わる。 ダビンチが、どのような異論をもち、どのような信念をもっていたかは知らないが、だからといって、それによって、(教え)が影響を受けるということでもあるまい。 そう考えるほうが、おかしい。 要するに、どうでもよい。 仮に、百歩譲って考えてみても、ダビンチの見解は、どこまでいっても、ダビンチという1個人の見解にすぎない。 ダビンチが、神の子というわけではない。 イエス・キリストの弟子というわけでもない。 ダビンチは、西暦1452年の生まれ。 言うなれば、イエス・キリストの死後、約1400年後に、ダビンチは、自分の解釈で、自分の思いを、自分の絵の中に塗りこめたにすぎない。 それをまるで、天と地がひっくりかえったかのような大事実として、問題視するほうが、おかしいのではないのか。 たとえて言うなら、日本の広重や北斎が、自分の版画の中に、反幕府的な思想を描きこんだようなもの。 後世の研究家たちが、その暗号を解いたからといって、それがどうしたというのか? で、私の印象は、冒頭にもどる。 私は、こうした重箱の底をほじるような、こじつけ的解釈(失礼!)には、どうしても、ついていけない。 途中であくびが出たのは、そういう理由による。 最後に、イエス・キリストとマリアの間に、子どもができ、その子孫が、今でもこの世界のどこかに生きているかもしれないという。 しかしこれについても、そうであったとしても、またそうでなかったとしても、今、ここでそれを論じても意味はない。 この2000年間で、約67世代が入れ替わったことになる。 (1世代を30年として、計算。 ) 世代ごとに、2人の息子もしくは娘が生まれたとすると、67世代では、その数は、2の67乗。 つまり単純に計算しても、その数は、2、4、8、16、32、64人……とふえていって、67世代目には、現在の地球の人口よりも、はるかに多くなる。 だれが子孫で、だれが子孫でないかと区別するほうが、おかしい。 「なるほど、そういう見方もあるのか」という意味では、おもしろいビデオだと思うが、それ以上の意味はないのではないか。 ただし私は、本のほうは、立ち読み程度にしか読んでいないので、ここではコメントできない。 ビデオを見終わったあと、「本まで買って読んでみたい」という気持は、とても起こらなかった。 (ゴメン!).

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『『ダ・ヴィンチ・コード』の舞台となったサン・シュルピス教会』パリ(フランス)の旅行記・ブログ by スキピオさん【フォートラベル】

ダビンチコード

ストーリの核心はフィクションです。 「事実に基づく」的な書き方が、商業的な成功に繋がったとは思いますが、ダヴィンチコードはフィクションです。 実話や史実をベースに作られているものではありません。 そのストーリーの大前提となっている「レオナルドが教会の秘密を守る『シオン修道会』に属していた」ということも、史実ではありません。 作者が「シオン修道会」に関わる秘密文書について「多くの学者によって史的根拠を広く認められている」とダヴィンチコードで書いているものの、歴史学的には確認された事のない話です。 下記リンクにあるように、秘密結社的な「シオン修道会」は20世紀のプランタールという人物による偽造工作による創作物で、1990年代に虚飾の顛末が明らかになりましたが、70年代に英国BBCがプランタールの偽造史料に基づくドキュメンタリーを既に数度も作成したりしていたことなどもあり、一部の人々は真面目にその虚偽のストーリを学説レベルの根拠があるものと誤解してしまっていた経緯があります。 「最後の晩餐に聖杯が描かれていない」 とダヴィンチコードではされますが、実際の絵画にはグラスが描かれています。 また、イエスの横にマグダラのマリアとされる女性が描かれているとされますが、当時の聖画の標準的手法からすると女性的に描かれる使徒はヨハネです。 これを女性と解釈するのは小説作者の自由ですが、そうするとヨハネはどこに行ったのでしょう? マグダラのマリアとイエス云々の話は、かなり昔からキリスト教を揶揄する表現として有名なストーリーですので、それ自体は 小説的な目新しさに乏しいように思います。 実在した人物・物や伝統的なヨタ話、プランタール系の虚飾話、作者のフィクションとをスリリングに組み合わせ、娯楽ストーリとしています。 映画が公開された頃には「キリスト教の根幹を揺るがす」とか、映画宣伝的なテレビ番組もありましたが、学術検証的な作品ではありません。 別におかしくはないんじゃない? バチカンが世界の命運をめぐる陰謀の中心だった とか言うプロットの小説や映画、なんぼでもあるし。 キリストに子供がいても何ら不思議ではないし、 隠さなければならない理由が判らない。 イエスに子供がいたら、何らかの宗教的に汚れる 何かがあるのかな? もしそうなら、ローマ法王ベネディクト16世あたりが こないだ事態鎮静にやっきになった、HIV防止に コンドーム使用不可だと言ったことと説明がつか なくなります。 性行為をしたら子供がいるのは 当り前です。 イエスが性行為をしてはいけないとしているので あれば、聖人は独身でなければなりません。 それが「自然」なのかどうか、宗教家と話が 合わないのはそこら辺ですね。

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●ダビンチ・コード

ダビンチコード

原題: The Da Vinci Code 公開:2006年 上映時間:149分 世界中でベストセラーになっているダン・ブラウンの小説を映画化した、超大作ミステリー!トム・ハンクス主演映画では一番好きな作品です。 半年に一回は見たくなります。 知的で聡明なロバート・ラングドン教授演じるトム・ハンクスの優しい目がとにかく好きなのです。 ストーリーは宗教関係だしやたら長いので、見る人を選びますね。 「キリスト教ってなに?ダヴィンチ興味ないよ!」って人にはオススメできません。 しかも内容がややこしいというか、難しいです。 しかし少しは宗教の知識がある、芸術が好き、秘密結社とかかっこいいよね、という人ならある程度は楽しめる映画になっています。 ダヴィンチコードのあらすじ ルーヴル美術館の館内で館長であるジャック・ソニエールの射殺体が発見された。 不思議なことにその身体はダ・ヴィンチによる「ウィトルウィウス的人体図」を模した形になっていた。 店でサイン会を行っていたハーバード大学のロバート・ラングドン教授は、フランスの警部に呼び出され、宗教象徴学の専門家として捜査協力を求められる。 事件に巻き込まれてしまったラングドン教授は、殺害された館長の孫と共に、事件の真相へと迫っていく…。 最後の晩餐に隠された真実 ラングドン教授と館長の孫娘は金持ち博士リーの屋敷を訪れて事件の意見を仰ぐが、そこで事件の背後に潜む恐るべき真実を知る。 それは聖書にも記される失われた聖杯を巡る確執である。 (インディージョーンズではない) 長い歴史の中で何度も繰り返され、しかし明るみに出ることなく隠された戦い。 それこそがこの事件を動かす者たちが持つ動機であるというのだ。 ダヴィンチはその真実を暗号にして、最後の晩餐という絵に残したという。 簡単に言えば、 聖書では生涯独身であったはずのイエス・キリストが、じつはマグダラにマリアと呼ばれる女性と結婚をしており、磔にされたとき、彼女はキリストの子供を身ごもっていた、という真実だ。 こじつけ臭いのは置いといて。 この説にはびっくり驚かされる。 そんな事実はない!と主張するカトリック教会と、子供の存在を信じる秘密組織の戦いはずうっと前からあって、今回の殺人もその真実を抹消するためだとか。 うーん、宗教思想の違いからくる殺人って言えば簡単ですが、登場する宗教組織が多すぎて、物語はめちゃんこ複雑になってます。 ダヴィンチコードのラスト 実は! ラングドン教授と一緒に謎を解いていたルーブル美術館館長の 孫娘ソフィーが、キリストの子孫だった! そして! すべての 殺人、組織を裏で操っていたのは金持ち老人リーだった! キリストがどうとか、暗号解読は置いといて。 ラスボスが金持ち老人というの驚きました!あんなに協力してくれたのに!仲間だと思っていたのに! ラストの真犯人には本当にびっくりしました! ダヴィンチコードの感想• 詰め込み過ぎですよね、そうですよね。 分厚い文庫本小説を、2時間映画に収めようと言うのは無理な話です。 小説を映画化すると、どうしても端折らなくちゃいけない部分が出てきてしまうわけで。 でも端折ってしまうと見ている人を置いてけぼりにしてしまう、難しくてツマラナイ映画になる可能性が出て来てしまいますよね。 本作「ダ・ヴィンチ・コード」も多くの観客を置いてけぼりにしていると思います。 特にカトリックについて知識がない人。 なんのこっちゃ状態でしょう。 幸い私は小中高校とカトリック系の学校に通っていたので、ある程度は理解できましたけど。 それでもシオン修道会とか、十字軍とかなんのこっちゃでした。 3回見てようやく全容を掴めた感じです。 しかし、逆にキリスト教を知っている人からすると、「イエスに子供がいた」というラストはありえない!おかしい!となるでしょうね。 ローマ教会(カトリック教会)は イエス・キリストを冒涜した映画だとして、ボイコットを呼びかけましたし。 宗教は知っているけど信者じゃない私は、「キリストに子供がいたとか、よくこじつけたな」と 関心しましたけどね。 普通に楽しめましたけど。 原作を読むか、勉強するかしないと「ダ・ヴィンチ・コード」をめいいっぱい楽しむのは難しいと思います。 この映画が好きだ! 内容は難しいし、展開は早すぎるし、映画としては優しくない部類に入る「ダ・ヴィンチ・コード」ですが、私は好きです。 トム・ハンクスが好きというのも理由の一つですが。 ルーブル美術館をキャストが走り回ったり、有名な美術品や建造物を見ることができる、というのも本作が好きな理由の一つです。 あー、私もルーブル美術館に行きたいなー。 あのガラスのピラミッド前で膝をついて、教授みたいに空を見上げたいなー。 それから! 映画の音楽も素敵なんですよ。 かっこいいんですよ。 さすがハンス・ジマーですね。 サントラ欲しくなっちゃいます。 ダヴィンチコードのキャスト(声優) 監督 ロン・ハワード キャスト トム・ハンクス 江原正士 オドレイ・トトゥ 安藤麻吹 イアン・マッケラン 坂口芳貞 アルフレッド・モリナ 原康義 まとめ 原作含め学術的にはフィクション作品として扱われることが多い「ダ・ヴィンチ・コード」見るか見ないかはあなた次第! ちなみに実話ではありません。 (だからカトリック教会が怒ったんですね).

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