日立 製作所 笠 戸 事業 所。 事務所一覧:株式会社 日立プラントメカニクス

日立製作所笠戸事業所

日立 製作所 笠 戸 事業 所

支店・営業所 北海道営業所 〒060-0002 北海道札幌市中央区北2条西4丁目1番地(札幌三井JPビルディング9階) TEL:011-223-6164 FAX:011-223-6178• 北日本支店 〒980-8531 宮城県仙台市青葉区一番町四丁目1番25号(東二番丁スクエア7階) TEL:022-706-4995 FAX:022-223-5192• 中部支店 〒460-0022 愛知県名古屋市中区金山一丁目12番14号(金山総合ビル3階) TEL:052-323-7100 FAX:052-323-7101• 関西支店 〒541-0053 大阪府大阪市中央区本町一丁目8番12号(オーク堺筋本町ビル8階) TEL:06-6271-1720 FAX:06-6271-1721• 中国支店 〒730-0031 広島県広島市中区紙屋町二丁目2番2号(紙屋町ビル8階) TEL:082-541-3410 FAX:082-541-3415• 山口営業所 〒744-0002 山口県下松市大字東豊井794番地 TEL:0833-41-3343 FAX:0833-48-3150• 九州支店 〒812-0039 福岡県福岡市博多区冷泉町二番1号(博多祇園M-SQUARE 5階) TEL:092-262-7610 FAX:092-262-7980• サービスセンタ 東部サービスセンタ 〒271-0062 千葉県松戸市栄町7丁目492番地 TEL:047-362-8921 FAX:047-362-6870• 西部サービスセンタ 〒661-8501 兵庫県尼崎市下坂部三丁目4番1号 TEL:06-6499-4964 FAX:06-6499-9831• 中部サービスセンタ 〒460-0022 愛知県名古屋市中区金山一丁目12番14号(金山総合ビル3階) TEL:052-323-7100 FAX:052-323-7101• 広島サービスステーション 〒730-0031 広島県広島市中区紙屋町二丁目2番2号(紙屋町ビル8階) TEL:082-541-3410 FAX:082-541-3415• 笠戸サービスセンタ 〒744-0002 山口県下松市大字東豊井794番地 TEL:0833-44-1221 FAX:0833-48-3150• 九州サービスセンタ 〒812-0039 福岡県福岡市博多区冷泉町二番1号(博多祇園M-SQUARE5階) TEL:092-262-7610 FAX:092-262-7980•

次の

日立も技能実習不正か 目的外の職場に配置の疑い:朝日新聞デジタル

日立 製作所 笠 戸 事業 所

概略 [ ] 下松市の南部、の対岸に工場群を構え、サッカースタジアム約9個分、520000㎡の広さがある。 事業所に隣接して笠戸事業所と日立交通テクノロジー笠戸事業所、笠戸生産統括部があり、営業用鉄道車両のみならず保守用車両や保守機材の製造も手がけ、艤装関係も自社グループで完結できる体制を整えている。 現在製造されている車両はそのほとんどがであり、向け、向けを問わず幅広く扱い、向けの車両製造も多く手がけている。 特ににアルナ工機(現・)が鉄道線車両から撤退した際には、アルナが扱っていた、向け新製車両製造の事実上の受け皿となり、(JR九州)の新製は、以前はほぼ全車両がと当事業所に集約されていたが、現在、九州旅客鉄道(JR九州)の新製電車は、殆どの採用で、当事業所での製造が主流になっている。 (JR東海)、(JR西日本)とは、2000年代以降車両製造は新幹線のみとなっている。 製造された車両はを通じてから全国に発送()される。 新幹線車両・阪急電鉄向け車両・海外向け車両は・を経由し、下松第2埠頭から船積みされて車両基地近くの港まで運ばれ、そこから陸送される。 本事業所に限らず、公道経由で鉄道車両を陸送する場合は通常深夜に行われる が、下松市が「ものづくりのまち」のPRを目的に日本初の鉄道車両日中陸送を企画、2017年3月5日の日中に当該道路を一時封鎖して(クラス800)先頭車1両の陸送を行い、約3万人がつめかけた。 また、2019年にも下松市制80周年記念事業として下松商工会議所などが企画し、7月14日にクラス800先頭車2両の日中陸送を行い、約3万5千人が詰めかけた。 にの車両が来日した際、を日本国内で走行可能な用のものに履き替える作業を始めとして、各客車をJR各線のに合致させるための作業を行っている(この企画のメインが日立だったという事情もある)。 客車はから船で下松港まで輸送されて来日、離日の際も下松から船積みされている。 かつては、、、、、の製造も行っていた。 ただし電気機関車はの水戸工場が主力生産工場であった。 笠戸事業所で製造された車両 [ ] 「」および「」も参照 とについてはの鉄道線用車両製造撤退を契機に、その受け皿として取引に加わった。 ・ [ ]• 3(度)、No. 4(度)• :設計を主導し、量産試作機(C62 1 - 4)も担当。 電気機関車• (度) 1955年 インド向け• ディーゼル機関車• :第一次試作車(DD51 1)も担当。 ( - 度)• :試作の1両のみ。 [ ] [ ]• 新幹線• ・以外の全形式• 在来線• [ ]• ( - )• [ ]• 新幹線• 在来線• [ ]• 新幹線• 100系3000番台• 300系3000番台• 在来線• [ ]• 在来線• 新幹線• [ ]• [ ]• 在来線• ・以外の全形式• 新幹線• [ ] [ ]• (3・4次車) [ ]• [ ]• [ ]• の一部。 の一部。 初期車まで。 [ ]• [ ]• () [ ]• 以降の全形式 [ ]• (初代、)• (2・3次車) [ ]• () 第三セクター [ ] () [ ]• [ ]• [ ]• (3・4・32・24・25編成を除く)• (15・16編成を除く) 公営 [ ] [ ]• () [ ]• (製の1次車と製開業用と1次車組み込み6連化用中間車2両の2次車)• (製開業用3次車)• (度の1次車、度の4次車、度の6次車を担当した)• [ ]• [ ]• [ ]• [ ]• [ ]• () 日本国外向け [ ] [ ]• [ ]• () [ ]• () [ ] この節のが望まれています。 備考 [ ]• 1500番台のみを製造。 は量産先行車の一部と増結用の429形のみを製造。 特別車両E655-1を含む3両。 残る3両はにて製造された。 旧9・10・13~16号車のみを製造。 旧1~6号車は、旧7・8号車は、旧11・12号車はにて製造された。 2000番台を除く。 1000番台W3編成のみを製造。 4000番台を除く。 ただし台車は川崎重工業車両カンパニーにて製造(在来線電車のも同様)。 50番台のみを製造。 ただし9300系の9308F、9000系の9003F・9006F・9008Fは構体のみ製造で、艤装以降はが担当。 N3101編成のみを製造。 N3102編成以降は日本車輌製造が担当。 最初の12編成のみ製造。 残りの110編成はニュートン・エイクリフ工場で製造予定。 その他 [ ] 三式潜航輸送艇 [ ]• ゆI型 ゆ1~ゆ25• ゆII型 潮 起源 [ ] 「」も参照 の修理工場を事業の起源とし、主たる事業拠点をを始めとするに集中させている日立製作所にあって、関東から遠く離れた山口県下松に事業拠点を構えるのは、日立鉱山()の創業者であり、「鉱山王」の異名を取ったの一大構想に由来する。 久原鉱業所の成功で一財を成した房之助は、自分の郷里である山口県に於いて一大プロジェクトを描いていた。 それは山口県(現在の下松市)から都濃郡(現在の櫛浜)にかけての沿岸一帯を埋め立て、一大工業地帯とすることであった。 その著として、久原は自らに乗り出すことになり、(4年)に 日本汽船株式会社を立ち上げることとなる。 創業当初の日本汽船は好調を極め「造った船はでき上がるまでに何層倍の高値で、羽が生えたように飛んでいった」(著「大阪商人太平記」より)といわれるほどであった。 しかしその一方で、造船業以外にも事業を急拡大させた房之助はの終結をきっかけに一転苦境に陥ることとなる。 前述のプロジェクトを実現させるべく(大正8年)に下松の埋立地にて 日本汽船笠戸造船所の操業を開始するも、早くも翌々年の(大正10年)には房之助の元から独立を果たしていた率いる日立製作所が日本汽船笠戸造船所を取得することとなり、ここに笠戸は日立傘下の製造拠点の一つとなったのである。 なお、房之助自身も1928年には久原鉱業所の社長の座を義兄であるに譲り、経営の一線から退き、政界に転身している。 造船を手がけていなかった日立は、笠戸造船所の施設を「笠戸工場」として鉄道車両の製作に振り向けることとなり(1920年にはタンク式蒸気機関車の製造実績があったという)、3年後の(大正13年)に国産第1号となる大型機関車であるを完成させ(笠戸工場は機械部分を担当)、日立の鉄道車両造りの歴史が始まることになる。 スポーツ [ ] 男子部と男女部の存在が知られている。 サッカー部()は2014年現在、であるに所属。 ただし近年は一つ下のカテゴリーであるとの昇降格を繰り返している。 バスケットボール部は男女とも・の常連(中国地方代表)ではあるが、本大会ではなかなか上位に食い込めるところに到っていない。 関連項目 [ ]• - 笠戸交通システム本部車両システム設計部で開発が行われており、これを使った車両の製造はほぼ全て笠戸事業所で行われている。 - 前下松市長。 元日立製作所社員で、現在も同社の関連会社である清和工業株式会社の会長を務めている。 脚注 [ ] 注記 [ ].

次の

日立製作所

日立 製作所 笠 戸 事業 所

自治体や大学・研究機関、三井不動産や日立といった民間企業の「公・民・学」が連携して開発した「柏の葉スマートシティ」。 「スマートシティ」と聞けば、最新のテクノロジーを駆使した最先端な未来都市を思い浮かべるかもしれない。 しかし、本当は安全・安心、そして、今後20年、30年でも持続可能(サスティナブル)な社会を実現する街、それが「スマートシティ」なのである。 日立はこの「柏の葉スマートシティ」の開発プロジェクトに当初から参画しているが、柏の葉の開発にあたり掲げられた3つのテーマ「環境共生都市」「健康長寿都市」「新産業創造都市」に対し、日立ならではの貢献を果たしていくまでの過程には、紆余曲折があった。 これまでの経緯や今後の展望などもあわせて、日立製作所 社会イノベーション事業推進本部 ソリューション・ビジネス推進本部の事業主管、戸辺昭彦に聞きました。 「世界の未来像」を創る柏の葉スマートシティ 東京・秋葉原駅からつくばエクスプレスの区間快速に乗車して約30分、千葉県柏市に柏の葉スマートシティはある。 「公・民・学」が連携して創る街、そして世界の未来像…その期待に胸は躍る。 スマートシティという言葉からは、どんな街を思い浮かべるだろうか。 最新テクノロジーを結集した未来都市をイメージする人は少なくないと思う。 高層マンションやインテリジェントビルが立ち並んだ柏の葉スマートシティの街並みは、たしかに近代的ではある。 駅前に設置されたデジタルサイネージは、あたかもスマホやタブレット端末のよう。 しかし、駅前ロータリーを発着しているのは、EV(電気自動車)や水素自動車などの最先端のビークルというわけではなく、ごく普通のバスやタクシー、マイカーだ。 風力発電や太陽光発電パネルなどの設備も見当たらない。 隣接する大型ショッピングセンターを訪れてみても、そこで買い物や食事をカジュアルに楽しんでいるのはファミリー層からシニア世代まで、ごく普通の人々だ。 要するに一見する限りは、よくあるベッドタウンだと思った、取材で話を聞くまでは。 しかし、ここ柏の葉スマートシティは、そうではないと言う。 「必要なのは、地域社会に深く根差した街づくりなのです。 視察や観光ではなく、実際に数千人、数万人といった人々が、今後20年、30年にわたってこの街で暮らしたり、働いたりすることになるのですから」と語るのは、日立製作所 社会イノベーション事業推進本部 ソリューション・ビジネス推進本部の事業主管を務める戸辺昭彦である。 日立が柏の葉スマートシティの開発プロジェクトに参画したのは、今から5年前の2010年のこと。 当初から目標として掲げられたのが、現在の社会が抱えるさまざまな課題を解決し、あるべき未来につなげていく活動である。 周知のとおり現在わが国は、少子高齢化、地方の衰退、環境・エネルギーなど多くの難題に直面している。 新興国は言うに及ばず先進国においても類を見ない、まさに課題先進国だ。 裏を返せば、これから日本が取り組むチャレンジとその成果は、やがて同様の課題と向き合うことになる多くの国々に対しても示唆を与えるモデルとなる可能性がある。 その先行事例のひとつとなるのが柏の葉モデルなのである。 地域で暮らす人々、自治体、大学・研究機関、企業といった多様なステークホルダーが、この柏の葉モデルという旗のもとに集い、議論を重ねながら、いかなる課題解決の方策を打ち出し、その先にどんな街の姿を描き出していくのか。 「仮に今あるソリューションでは解決が困難だとしても、そこに課題がある限り、共に考え、共に汗をかくのが日立の使命。 街が抱える本当の課題が東日本大震災で浮き彫りに 柏の葉スマートシティの全体プロジェクトについて、これまでの経緯を簡単に振り返りながらあらためて紹介しておきたい。 2009年9月、一般社団法人フューチャーデザインセンターの構想のもと、都市開発や通信キャリア、IT、家電、総合商社などさまざまな業界のリーディング企業が結集。 「スマートシティ企画株式会社」が設立され、「スマートシティプロジェクト」が立ち上げられた。 そのフラッグシッププロジェクトに位置づけられたのが柏の葉スマートシティであり、三井不動産株式会社をはじめとするスマートシティプロジェクトの参画メンバー及び自治体、大学によって推進されている。 環境都市創造の新たな指針をめざす柏の葉モデルの特徴は、「自然の力を最大限に活用しつつ、街に最先端のテクノロジーを実装。 コミュニティに対して新たな暮らし方を提案することで、課題解決を実現する」という考え方そのものにある。 これをプラットフォームに議論を重ねた結果として、人と地球にやさしく災害にも強い街をつくる「環境共生」、すべての世代が健やかに安心して暮らせる街をつくる「健康長寿」、日本の新しい活力となる成長分野を育む街となる「新産業創造」という3つのテーマを策定。 2011年7月12日に柏市、千葉県、東京大学、千葉大学、三井不動産による共同記者会見が開催され、柏の葉スマートシティのプロジェクトは本格始動するに至った。 もっとも、ここまでの取り組みのすべてが順風満帆で進んできたわけではない。 「実は柏の葉スマートシティのオープンを当初予定から順延せざるを得ないような、根本からの計画の見直しが行われました」と戸辺は言う。 柏の葉スマートシティのもともとの計画では、たとえば環境共生を取り上げても「街全体のCO2排出量を減らして地球環境保護に貢献する」「プロジェクトで築き上げた先進モデルをテンプレートとして、成長著しい中国や東南アジアなどの新興国にも展開していく」といった理想のシナリオが描かれていた。 こうした夢を前面に打ち出したプランを現実に引き戻す出来事が起こったのである。 契機となったのは、言うまでもない東日本大震災だ。 柏の葉スマートシティでも断水や停電が発生した。 住居エリアのマンションではエレベーターが停止し、高層階に住む高齢者がスムーズに避難できずに取り残されるという事態まで起こった。 「その後の住民との会話の中で、『非常事態に何も対応できず、人々の不安を解消できなかったこの街で、スマートシティをめざしたところで何ができるのか』というご意見が寄せられました」と戸辺は振り返る。 柏の葉スマートシティ[ 第1ステージの 概観 ] 街区を越えた電力融通を日本初で実現したAEMS わが国が近年に経験したもうひとつの激甚災害は1995年の阪神・淡路大震災だが、それ以前に千人以上の犠牲者を出した災害は1959年の伊勢湾台風にまでさかのぼらなければならない。 これは日本史においても非常に稀有なことだ。 例えば江戸時代の慶長、元禄、そして幕末の安政には、毎年のように大きな地震や洪水が起こっている。 すなわち日本の高度成長期は、このような災害がなかった幸運な時代だったのだ。 そうした中、新しい街づくりにおいて必ず見据えておくべき「災害への備え」という課題認識が希薄になっていたのかもしれない。 住民の声を聞くうちに、戸辺はさまざまな課題を次々と見つけることができたという。 「ショッピングセンターは独自に地下水をくみ上げるポンプを持っているにもかかわらず、誰もその設備の存在を知らず有効利用がなされなかった」「各ビルはそれぞれバックアップ電源を備えているが、相互に電力を融通しあうことができなかった」「ビルの防災センターの設置を予定していたオフィスビルの耐震・免震が十分ではなかった」など、足元を固めることの大切さを、あらためて思い知らされた。 ただ、本当の課題が認識できたことは決して悪いことではない。 安全・安心を阻害する具体的要因が明らかになったならば、必ず打ち手も見えてくるからだ。 この課題解決へのアプローチこそが、社会イノベーションにつながっていく、戸辺はそう直感したという。 「日本という国で生活している以上、私たちは決して災害から逃れることができません。 大震災を経験し、現地で多くの課題に気づいた今、この柏の葉スマートシティから変革を起こしていこうという機運が一気に形成されました」と戸辺は語る。 その課題を解決させるために、知恵を絞ったことが、街区を越えた地域全体で運用するエリアエネルギー管理システム(AEMS)実現の背景となったのである。 さらに、蓄電池システムを中核とした分散電源関連設備と、系統電力に太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギーを組み合わせた安定運用を支える基盤とする。 こうした高機能な設備をつなぎ最大限に活用していくのが、柏の葉スマートシティにおけるAEMSというわけだ。 その実現に向けて日立は、システム構築と運用サポートおよびリチウムイオン蓄電池システム、受変電設備、大型マルチビジョンの設計・製作といった役割を担うことになった。 このAEMSによって達成された最大の成果は、日本で初めて街区を越えた電力融通を実現したことにある。 一見すると何が画期的なのか理解しづらい面があるかもしれないが、この仕組みを実現するまでには、乗り越えなければならない多くの壁が立ちはだかっていたのである。 柏の葉スマートシティ全体構想[ 今後の開発エリア ] 住居棟、オフィスエリア、商業施設といった街区を越えて電力を融通するためには、柏の葉スマートシティとして独自の電力網を構築する必要があるが、そもそも各々電力会社から受電しているビル間で、需要者側が独自の送電線を敷設して融通を行うことは保安上許されていない。 もちろん、この法制度にも理由がある。 勝手に送電線を設けた場合、送電線を流れる電力は制御できず、最悪の場合広域にわたる大規模障害を発生させてしまう危険性がある。 そこで電力会社には、変電設備の配下に位置する加入者に対して木の枝のような送電線を敷設し、個別に配電を行う権限と責任が与えられていたわけだ。 実際、世界で最も安定していると言われる日本の高品質な電力供給は、この仕組みによって支えられてきた。 だが、先にも述べたように東日本大震災のような激甚災害が発生して系統電力が停止してしまった場合、需要者側ではどうにもならない状況に陥ることになる。 そこで震災後に電力自由化、発送電分離といった議論が盛んに行われるようになり、電気事業法が一部緩和された。 こうした法制度の改正や行政を含めた世の中の変化を先取りする形で、柏の葉スマートシティのAEMSは実現に至ったのである。 また、平常時に電力網が乱れてしまうような事態は絶対に起こしてはならない。 そこに日立が持ち込んだのが、交流直流変換の仕組みである。 これは50ヘルツの東日本と60ヘルツの西日本の間で電力融通を可能とするために、静岡県の東清水変電所などに設置されている周波数変換設備とほぼ同じ原理を採用したもの。 継続的な課題解決や進化を支えることが社会イノベーションの本質 こうしてAEMSのもとで実現された街区間の電力融通の仕組みにより、もし災害が発生した時は大きな効力を発揮することになる。 「たとえば系統電力がストップした際に、オフィスエリアのエネルギー棟に設置されたリチウムイオン蓄電池システムから住居エリアの各マンションの避難誘導灯やエレベーターに、あるいは商業施設で地下水をくみ上げているポンプなどに向けて優先的に電力を送り、人々の生命の安全を守ることができます」と戸辺は語る。 実は、災害などの非常時だけでなく平常時にもAEMSは大きなメリットをもたらす。 電力需要の一日の動きを追ってみると、オフィスエリアでは平日の朝9時から午後5時まで、商業施設は休日の朝10時から午後9時まで、住居エリアでは住民の帰宅が始まる午後6時から午後12時頃までといった具合に、それぞれピークが異なっている。 「街区間の電力融通をAEMSによって的確にコントロールし、まちまちだったピークを平準化することで、柏の葉スマートシティ全体としての省エネや電力料金の削減を実現できるのです」と戸辺は強調する。 先にも述べたようにAEMSは、電力のみならず水やガスなどの需給についても地域全体での効率的な運用・監視・制御を担い、エネルギー利用を最適化する。 これは画期的なことである。 柏の葉スマートシティは、すでにオープン済みの第1ステージから、国立がん研究センター東病院や千葉大学柏の葉キャンパス、こんぶくろ池自然博物公園などを含めた2030年目標の第2ステージへと、今後も開発エリアを広げていく計画だ。 エリアにはさまざまなベンチャービジネスも誘致され、新たな街の活力を生み出していく。 この過程においても、きっと今までとはまったく違った新たな困難や阻害要因が浮上してくるだろう。 しかし、そうした課題こそが地域社会のニーズそのものなのだ。 日立自身が「住民のひとり」となってこの街で暮らし、さまざまな課題をマーケットインで受けとめながら、引き続き解決に貢献していく。 「あらためて考えると、私たちが現在の日本で豊かな生活ができているのは、祖先がそれぞれの時代に暮らしがどうあるべきかを模索し、築いてきた礎が受け継がれているからに他なりません。 では、私たちは子や孫の世代に、どんなものを残していくことができるでしょうか。 単に経済的な合理性や高機能を追求するといったことだけでなく、今の人々の暮らしの維持や公共性にも配慮しながら、より良い答えを探し続けることが大切です。 劇的な革新ではなく、継続的な課題解決や改善、進化を支えていく基盤を提供することが、社会イノベーションの本質です」と戸辺は語った。 続けて、その思いの原点となっている日立の創業者である小平浪平が示した、理念があると紹介した。 私の真意を申上げますと云ふと、日本の機械工業を進展さして、さうして日本の隆々たる国運に副うて行きたい、是が私の希望であります。 詰まり会社の仕事と云ふものは、決して唯単なる金儲けばかりやって居るのではないと云ふことは能く皆さんの頭に入れて戴きたいのであります。 此一つを申上げて置きましたら、日立精神と云ふものはどういう風に醸成されて居るかと云ふことは能くお分かりになるだろうと思ふのであります。 『新入社員に対する訓示』昭和十年 小平 浪平 日立は2010年に創業100周年を迎えたが、その長きにわたって存続し続けることができた背景には、常に「国家や産業、地域社会、人々に貢献する」という精神があった。 そして、今後の100年に向けても日立が存続していけるかどうかは、「柏の葉をはじめ国内各地や海外に向けても展開していく街づくりを通した社会イノベーション事業において、日立の伝統的な事業を通じた社会貢献の精神を守り続けているかどうかで試されることになります」と語気を強める戸辺。 さまざまな地域の住民や多くのステークホルダーと連携・協業しながら街の一員となり、「まずは課題をつかみ、その上で日立に何ができるかを考える」という、さらなる社会イノベーションへの終わりなき挑戦と実践に期待したい。 Realitas Vol.

次の