山口 メジャー。 山口俊は続けるか?メジャーで活躍した日本人フォークボーラーの歴史|【SPAIA】スパイア

山口俊は続けるか?メジャーで活躍した日本人フォークボーラーの歴史|【SPAIA】スパイア

山口 メジャー

経歴 学生時代 横浜市の小学校1年時からで野球を始める。 中学校では軟式野球部に所属。 3年時にはエースとしてベスト4進出。 3年夏にはエースとしてベスト8に進出。 高校卒業後はに進学する意向だったが、のスカウトから誘いを受け、入団テストに合格しマイナー契約。 ダイヤモンドバックス傘下時代 ので4年間プレーしたが、シングルAにすら一度も昇格できなかったため帰国を決意。 巨人時代 、日本に帰国後、知人を通じての編成を務めていたと出会い、10月に横浜の入団テストを受けるものの不合格。 しかし、山口は絶対にプロに入るべき素材だと確信していた亀井は、自身の所属と縁がないながらもやの入団テストの受験を山口に勧め、最後に受けた巨人の入団テストで合格。 同年に初めて開催された育成選手ドラフトでの指名を経て巨人にとして入団した。 はで25試合に登板、防御率1. 61の成績を残した。 2006年オフにも契約が結ばれると報道されたが、選手枠などの事情から見送られた。 また、投球フォームのテコ入れを行い、投げ込みをしたら球速がアップしたという。 に二軍で5試合に登板し無失点と好投を続け、4月23日に支配下登録。 29日に一軍初登板、1回無失点に抑えた。 巨人で育成選手から支配下選手登録された選手はに次いで2人目であり、松本はこの時点では出場していなかった為、巨人における育成枠での入団選手として初の一軍公式戦出場選手となった。 5月9日の戦に4番手として登板し初勝利。 育成枠出身選手で初の勝利投手になった。 試合後のヒーローインタビューでは、殊勲打を放ったに「ありがとうございます」と感謝を述べた。 その後もの故障で空いた左の中継ぎを一人で担うなど孤軍奮闘した。 は投手コーチから左のとして期待をかけられ、春季キャンプでフォーム改造に取り組む。 自身初の開幕一軍入りを果たすと、シーズン序盤から先発陣が苦戦する中、やとともにブルペンを支える。 のヤクルト戦で巨人史上初となる全て中継ぎ登板での2桁勝利を達成。 最終的に67試合に登板して11勝を挙げ、13ゲーム差を逆転してのリーグ優勝に貢献。 リードを守れなかったにもかかわらず味方の逆転で勝利投手になる「勝ち星泥棒」は1回のみ。 中日との第3戦ではリリーフで3イニングを投げ 、西武とのでも3試合に登板し、最後までフル回転でチームを支えた。 オフには育成選手枠出身選手として初の新人王を受賞した。 は開幕前の3月に開催されたのに選出された。 中継ぎとして4試合に登板して無失点に抑え、日本の2大会連続2度目の優勝に貢献した。 シーズンでは、前年同様に中継ぎとして登板を重ね、6連投も経験。 でファン投票でセ・リーグ中継ぎ部門1位となり、育成枠出身選手初の球宴出場。 また、の中日戦で敗戦投手となるまで前年からの14連勝および83試合連続で登板時の不敗神話を維持。 球団記録を更新するチーム最多の73試合に登板し、9勝1敗4セーブ・防御率1. 27・44ホールドポイントを挙げ、を獲得。 オフの契約更改では、育成枠出身選手初の年俸1億円でサインした。 は監督により先発投手に転向。 の戦でプロ初先発を果たす。 4月10日の戦では8回途中3失点の好投で先発としてプロ初勝利を挙げた。 しかしこの試合後、抑えのの離脱にともないリリーフへ再転向。 当初は負傷者が戻るまでの期間限定の予定だったが、結局シーズンを通して中継ぎで投げ続けた。 オフシーズンからずっと先発として調整してきたことによる調整不足もあって、被本塁打が昨年の1から10へと激増するなど復帰当初は苦しんだが、6月以降の防御率は1点台と徐々に復調。 序盤戦の不振が響き、防御率は前年から2点近く悪化したものの、最終的に前年と同じ73試合に登板し、チームのブルペンを支えた。 はクルーンの退団と代わって抑え候補だった新外国人と越智の不振もあり、開幕から抑えとして起用されるものの、4月19日の阪神戦で救援に失敗し、直後の23日に左胸の張りで登録抹消される。 復帰後はセットアッパーとして起用されることで安定感を取り戻した。 10月22日の最終戦にも登板して4年連続の60試合以上の登板、5勝1敗2セーブ、防御率1. 75、チームトップの25ホールドと好成績を収めた。 はが右ひじじん帯再建手術、が黄色じん帯骨化症で離脱する中、開幕から無失点を続け、6月3日の戦で1998年にが記録した開幕24試合連続無失点のセ・リーグ記録に並んだ。 佐々木からは祝福メッセージと共に「記録を更新して欲しい」とエールを送られていたが、6月5日の戦でにソロ本塁打を打たれ、記録更新はならなかった。 なお、この本塁打は同年における明石唯一の本塁打であり山口唯一の被本塁打である。 7月5日には4連投し、が投手コーチに「休ませてください」と直訴するなど周囲を心配させるも、その後も安定した投球を続け、7月には育成枠出身選手として初の月間MVPを受賞した。 8月30日の対中日戦での登板で、史上初となる 5年連続60試合登板を達成した。 明けに抑えのが離脱したことでが抑えを務め、8回・山口、9回・西村と継投で逃げ切る必勝パターンを築く。 2人の平均防御率は0・99と抜群の安定感を保った。 最終的にはリーグトップの72試合登板・44ホールドを記録。 75回3分の1を投げて無失点試合65、1登板最多失点は1、防御率は0・84と驚異的な記録を樹立し、3年ぶりの最優秀中継ぎ投手を獲得した。 とのでは第6戦の9回に登板、1イニングを無失点に抑え、胴上げ投手となった。 『』の「2012年度ベストナイン」ではベスト中継ぎに選ばれた他、から「巨人の試合で山口、西村の8、9回だけは見応えがあった」「山口は影のMVP」と絶賛された。 オフの契約更改では、入団時の年俸240万から100倍の2億4千万となった。 また12月4日に候補選手34人が発表され 候補入りした。 2月20日に第3回WBC日本代表メンバー28人が発表され 代表入りした。 同大会ではチーム最多の5試合に登板した。 シーズンでは、4月20日に154ホールドを記録して、を抜いて歴代単独一位となり、その際には生涯中継ぎ宣言をした。 6月5日の対日本ハム戦で史上初の通算200ホールドポイント、さらに160ホールドと記録を更新した。 この年は自身が持つ記録をさらに更新する6年連続60試合登板をクリアし、42ホールドポイント(4勝38ホールド)で自身3度目の最優秀中継ぎ投手のタイトルを、同僚のと分け合った。 しかしその一方で、約2年ぶりとなる1試合3失点を2度記録し、敗戦数(3敗)と与四球数(17)は自己ワースト・ワーストタイであった。 はシーズン前の体調不良から調整が遅れ、開幕から不調が続いたが5月からは復調し、5月の成績は防御率0. 00・2勝1セーブを記録。6月6日の交流戦・西武ライオンズ戦でプロ野球史上初の偉業となる通算200ホールドを達成し、連盟表彰を受けることが決まった(山口がきっかけとなって、200ホールドにも表彰規定ができた )。 しかし、阪神とのでは第3戦の7回に登板するもに勝ち越しの2点適時打を打たれそのまま敗れた。 チームは翌日も敗れCS敗退となった。 シーズンオフの契約更改では、現状維持の3億2000万で更改し、また、3年10億越えとされる複数年契約を結んだ。 は接戦で打たれるなど5敗を喫したが8年連続60試合登板を成し遂げた。 は9年連続60試合登板を達成したが、60試合登板が始まった2008年以降では防御率4. 88、シーズン6敗、19ホールドは自己ワースト。 チームも2年連続で優勝を逃すなど、苦しいシーズンとなった。 は故障や不振もあり登録抹消が重なり18試合の登板にとどまり、連続60試合登板が途切れた。 は左肩の故障などもあり、育成登録だった2006年以来となる一軍登板なしに終わり、二軍でも防御率4. 96と不本意な成績だった。 10月5日に現役引退を表明した。 会見ではやり切りったと完全燃焼の言葉やまたコーチや、かつて師事した、先輩の阿部らに感謝の言葉を述べた。 引退会見終了後には、、内海、ら辛苦を共にしたチームメートに加え、また既に引退表明していたと村田もサプライズ登場した。 に任意引退選手公示された。 引退後 2019年からジャイアンツアカデミーのコーチとして活動することがに発表された。 2020年からはジャイアンツの三軍投手コーチに就任する。 過去にはやの習得を試みている。 また怪我が少なく、日本記録となる9年連続60試合以上登板を果たした鉄腕も武器であり、リリーフ投手において必要な能力を高いレベルで備えている。 近年球速が落ちてきている。 打者から球の出所が見にくいと言われるフォームで内角を突く一方 、通算与四球率2. 00と制球力も高い。 は「右打者の内角に食い込むスライダーは、より上」と絶賛している。 人物・エピソード• 愛称は 「 ぐっさん」。 入団テストを受験する際、投手力の弱いチームを狙って子供の頃にファンだったと、2005年に発足したばかりのを選んで受験したものの、いずれも不合格となった。 しかしによれば、山口を育成枠での獲得するよう進言したのは、入団テストで山口が投じたに可能性を感じたとのこと で、小谷自身も同趣旨の発言をしている。 横浜の入団テストを受けた当日はが取材で偶然訪れており、佐々木が山口の素質を見抜いて球団フロントに獲得を勧めたものの、見送られた。 にて、2005年ドラフトの同期入団で2008年に揃って飛躍し、プライベートでも仲が良いとのコンビ名を募集され、「 風神雷神」が採用された。 2012年頃から2014年にかけての後を投げ、へつなぐ勝利の方程式を築き、ネットを中心に「 スコット鉄太朗」と呼ばれたが、あまり一般には浸透しなかった。 とは山口がアメリカ・ルーキーリーグ時代に面識があり、2008年に6年ぶりに再会した。 同じくとも面識があり、2009年に再会。 両者とも試合前の練習中に談笑する姿が目撃されている。 を尊敬しており、オフには工藤のアリゾナ自主トレに帯同し、プロとしての私生活やトレーニングの大切さを一から指導を受け、才能を開花させるきっかけをつかんだ。 その後工藤が横浜へ移籍したことから、2008年からは工藤が背負っていた背番号47を背負っている。 2015年12月7日、を寄付する活動を行う内のを訪問し、質問コーナーで「に興味がありますか」と児童から質問され「興味はありません。 僕は生涯ジャイアンツで頑張ります」と即答した。 なお、山口自身も闘病中の子どもを支援する活動などを積極的に行っている。 詳細情報 年度別投手成績 32 0 0 0 0 2 0 0 2 1. 000 114 25. 1 24 2 15 2 2 21 3 1 14 11 3. 91 1. 54 67 0 0 0 0 11 2 2 23. 846 293 73. 2 61 3 12 1 3 69 4 0 20 19 2. 32 0. 99 73 0 0 0 0 9 1 4 35. 900 292 78. 0 53 1 14 1 5 62 3 0 12 11 1. 27 0. 86 73 2 0 0 0 8 3 5 20. 727 364 88. 2 80 10 16 1 8 85 6 0 33 30 3. 05 1. 08 60 0 0 0 0 5 1 2 25. 833 239 61. 2 45 2 16 0 3 38 4 0 12 12 1. 75 0. 99 72 0 0 0 0 3 2 5 44. 600 277 75. 1 47 1 7 2 3 68 2 0 7 7 0. 84 0. 72 64 0 0 0 0 4 3 6 38. 571 262 66. 2 47 1 17 2 2 55 3 0 12 9 1. 22 0. 96 60 0 0 0 0 4 3 2 35. 571 246 56. 1 61 1 20 3 6 42 1 1 19 19 3. 04 1. 44 60 0 0 0 0 4 5 2 29. 444 216 52. 2 48 5 15 2 2 31 2 0 18 16 2. 73 1. 20 63 0 0 0 0 1 6 1 19. 143 204 48. 0 48 6 12 0 2 28 1 0 30 26 4. 88 1. 25 18 0 0 0 0 1 1 0 3. 500 62 13. 1 14 1 8 0 0 10 0 0 6 6 4. 05 1. 65 通算:11年 642 2 0 0 0 52 27 29 273. 658 2569 639. 2 528 33 152 14 36 509 29 2 183 166 2. 34 1. 06 年度別守備成績 年 度 球 団 試 合 2007 巨人 32 0 2 1 0. 667 2008 67 5 16 0 1 1. 000 2009 73 8 15 2 1. 920 2010 73 5 20 1 1. 962 2011 60 9 25 0 2 1. 000 2012 72 6 16 0 1 1. 000 2013 64 4 17 1 1. 955 2014 60 4 11 1 0. 938 2015 60 0 11 1 0. 917 2016 63 3 11 0 0 1. 000 2017 18 1 2 0 0 1. 000 通算 642 45 146 7 7. 965 タイトル• (2008年)• (2008年)• 特別賞:2回 (2008年、2012年)• :1回 (2012年7月)• :1回 (2012年度第4回)• 新人賞:1回 (2008年)• ・ジャイアンツMVP賞:1回 (2009年)• セ・リーグ連盟特別表彰(功労賞:2018年) 記録 投手記録• 初登板:2007年4月29日、対5回戦()、8回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点• 初勝利:2007年5月9日、対8回戦()、8回裏に4番手で救援登板、1回無失点• 初奪三振:同上、8回裏にから空振り三振• 初安打:2008年10月8日、対阪神タイガース24回戦(東京ドーム)、7回裏にから左前安打 節目の記録• 100ホールド:2011年9月6日、対中日ドラゴンズ13回戦()、8回裏に4番手で救援登板、1回無失点• 出場:5回 (2009年、2012年 - 2015年)• 102 (2006年 - 2007年途中、2020年 - )• 99 (2007年途中 - 同年終了)• 47 (2008年 - 2018年)• 39 ()• 91 (2019年秋季キャンプのみ) 代表歴• 登場曲• 「BRING IT ON」Fire Ball(2008年)• 「SUPERSTAR」Fire Ball(2009年 - 2010年)• 「CHANGE」CHEHON(2010年)• 「狼煙 〜Ready To Go〜 山口鉄也ver. 」Fire Ball(2010年 - 2018年) 関連情報 書籍• 山口鉄也メッセージBOOK -鋼の心-(、2013年5月 )• (『』/ 放送) 脚注 []• 野球の国から 平成野球史 - 野球コラム 2018年11月16日. 2018年11月16日閲覧。 - 日刊スポーツ(2008年9月13日)• - 日刊スポーツ(2008年11月20日)• - 日刊スポーツ(2008年10月25日)• - 日刊スポーツ(2008年11月22日)• - 日刊スポーツ(2009年2月22日)• - 日刊スポーツ(2009年7月5日)• - 日刊スポーツ(2009年12月3日)• - 日刊スポーツ(2009年12月14日)• - 日刊スポーツ(2010年4月11日)• - スポーツニッポン(2012年6月4日)• - スポーツニッポン(2012年6月6日)• - スポーツニッポン(2012年8月8日)• [ ] - スポーツ報知(2012年8月31日)• 『』2012年10月15日号 「豊田泰光のオレが許さん! 」第955回• [ ] 日本野球機構 2012年12月4日 2015年4月3日閲覧• [ ] 日本野球機構 2012年12月4日 2015年4月3日閲覧• 日本野球機構オフィシャルサイト 2013年2月20日 2015年4月2日閲覧• [ ] WBC公式サイト 英語 2015年4月2日閲覧• 日本野球機構オフィシャルサイト 2013年2月20日 2015年4月2日閲覧• - 読売巨人軍公式サイト(2013年2月20日)• - スポーツ報知(2013年4月21日)• -スポーツ報知 2014年11月26日• 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、129頁。。 2013年11月25日時点のよりアーカイブ。 2013年11月16日閲覧。 - スポーツ報知(2013年11月16日)• - 日刊スポーツ(2013年1月15日)• 『』2012年7月30日号 森繁和の投手考察第16回• - Number Web(2010年10月25日)• 著・清武英利『巨人軍は非情か』p235• - 現代ビジネス(2012年7月6日)• 2008年4月30日時点のよりアーカイブ。 2009年11月29日閲覧。 - ZAKZAK(2008年4月26日)• - 日刊スポーツ(2013年8月13日)• - 2015年12月8日6時0分• 日本プロスポーツ大賞. 公益財団法人. 2017年11月25日閲覧。 Car Watch. 2009年12月9日. 2018年2月28日閲覧。 山口が達成したことから200ホールド(以後50ホールドごと)が連盟表彰の対象になった。 2014年6月9日. 2017年7月26日閲覧。 関連項目• 外部リンク• - NPB. jp 日本野球機構• 選手の通算成績と情報 、、.

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山口俊がメジャーのブルージェイズ移籍!年俸や起用法は?通用する?

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今季から新たに3人のメジャー・リーガーが誕生する。 レイズ・筒香嘉智、レッズ・秋山翔吾、ブルージェイズ・山口俊だ。 新戦力として各球団の3選手への期待は大きい。 パワーヒッターの筒香と日本で安打製造機として活躍した秋山はタイプが異なる。 ただ、秋山は先駆者たちの活躍で目指す指針が分かりやすい。 同じタイプのイチロー氏(現マリナーズ会長付き特別補佐兼インストラクター)、ヤクルト・青木宣親がメジャーで結果を残してきた。 リードオフマンとして最も重視されるのは出塁率だ。 秋山は2015年にNPB歴代最多の216安打をマーク。 17年には首位打者を獲得するなど打撃技術は日本球界屈指だ。 甘い球はスタンドに放り込むパンチ力もある。 初対戦の投手が多いだけに試行錯誤することが多いかもしれないが、打率3割は実現可能な数字だろう。 一方、メジャーでどのようなスタイルで成功するのか想像しにくいのが筒香だ。 侍ジャパンで四番を務めるなどホームランアーティストとして活躍していたが、日本球界からメジャーに挑戦した長距離砲は少ない。 尊敬している松井秀喜氏(ヤンキースでGM特別アドバイザー)はメジャーに挑戦した数少ないスラッガーで、巨人時代の02年に50本塁打を放つなど3度の本塁打王を獲得したが、メジャーでプレーした10年間では04年の31本塁打が自己最多だった。 ただ、筒香は松井氏と打撃スタイルがまったく重なるわけではない。 松井氏はセンターから右翼への引っ張った本塁打が多かったが、筒香はメジャーのオープン戦で左腕から左中間に実戦初アーチを放ったように逆方向にも本塁打を打てる。 また、メジャーは昨年レギュラーシーズンで史上最多の6776本塁打が飛び出すなど、松井氏の現役時代より「ボールが飛んで本塁打が出やすい」と言われている。 メジャーでも長距離砲として生きるか、松井氏のように「勝負強い中距離打者」にモデルチェンジするか。 筒香の挑戦が注目される。

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プレミア12、巨人・山口に大ブーイング 稲葉監督にも批判「学習能力ないのか」の声も起用を続けるワケ

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巨人・山口俊投手(32)がポスティングシステムを利用して大リーグ移籍を目指すことが17日、分かった。 球団も5年ぶりリーグ制覇に貢献した功労者に対し、「特例」としての容認を検討するもようだ。 過去に松井秀喜氏(45)らが海外FA権を行使してメジャー移籍したが、同システム利用を容認すれば、球団初めてとなる。 山口は侍ジャパンの一員として決勝・韓国戦に先発したが、1回2安打3失点で降板した。 今季チームで唯一規定投球回に到達し、初タイトルとなる最多勝など投手3冠を獲得。 自身として初めてのリーグ優勝も経験した。 複数の関係者によれば最高峰の舞台を夢見て、すでに「メジャーリーグに挑戦したい」という意思を球団に伝えているもようだ。 巨人からは松井秀喜氏や上原浩治氏、高橋尚成氏らが海を渡ったが、全て海外FA権を行使してのものだった。 球団では過去に、ポスティングによるメジャー移籍を容認した例はない。 秋季練習中の今月4日。 セ・リーグのDH制導入案を掲げる原監督は、FA制度の「人的補償」の撤廃案に触れ、さらにはポスティングシステムについても言及。 球団は5年ぶりリーグ制覇の功労者に対し、「特例」として夢を後押しするか検討することになりそうだ。 17年にDeNAからFA移籍した山口は、今季170イニングを投げてリーグトップの15勝を挙げた。 原監督からは「(今年の)エース」と称されて、ソフトバンクとの日本シリーズ第1戦先発を託された。 DeNAに所属した12年末の契約更改交渉の席で、早ければ翌シーズン終了後にポスティングシステムによるメジャー移籍を目指す意思を伝えた。 実現には至らなかったが、同年末から米ロサンゼルスで自主トレを行い、現地のトレーニング方法などを吸収した経緯もある。 今オフは、元同僚のDeNA・筒香がポスティングシステムを利用して大リーグ移籍を目指すことも表明。 プレミア12では侍ジャパンの一員として世界各国と戦ったことで、メジャー挑戦への意思はさらに強くなったとみられる。

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