〈私、木下優樹菜は、この度、藤本敏史さんと離婚することになりました。 親権は私が持つことになりましたが、私たちの間に生まれてきてくれた2人の娘にとって、世界にたった1人の父親であり、母親であるので、今までと変わらず、お互いに協力し合い仲良く子育てをして参ります。 全ての関係者の皆様、そして応援してくれるファンの皆様、ご迷惑とご心配をおかけして大変申し訳ございません。 木下優樹菜〉 離婚を発表して一夜明け、新年を迎えたフジモンさんの心の叫びを皆さんに是非とも聞いてほしい — ビーバーとケンぼう yodobeebar ネットの反応は!? フジモンとユッッキーナが離婚 フジモンひな壇でてるけど 暗い・・・。 これされた人、怖かっただろうね…フジモンが来なかったらどうなったことか。 本人の反省がなければ捨てられてもしょうがない。。 そのことを姉さやかに問う。 これにより姉さやかは『窃盗の犯人扱いをされたこと』『給料が未払いであること』をユッキーナに相談する。 そもそもユッキーナの姉が一緒に働かないか?と誘われたことを『共同経営』と勘違していたことが原因の一つのようですね。 さらに双方の話をきちんと聞かずに身内の意見しか聞かないで口出しをしたこともユッキーナの想像力の欠如にも思えます。 ヤンキーキャラでしたが以外にいい母親、というギャップがよかったのにここにきてやはりただのヤンキーだったか!!と残念だ、という声が多数上がっているようです。 その原因として考えられるのが 『すれ違い』。 ラブラブな日常がよくテレビで取り上げてられていますが、実際はすれ違うことが多かったようです。 フジモンは忙しく大阪と東京を行き来し、地方ロケもかなりこなしていましたからね。 そういったことが原因でユッキーナが家を不在にするフジモンについ文句を言ってしまい、喧嘩に発展。 それで互いにストレスを溜めるという悪循環に陥ってしまったようですね。 ユッキーナは子育てや時間の合わない夫婦生活に相当ストレスや疲れを溜めていたようです。 ですが実はユッキーナのひどい扱いに愛想を尽かしたフジモンがユッキーナを捨てた、という見方が強くなっています。 【原因】フジモンがユッキーナに愛想を尽かした!? フジモンとユッキーナはすれ違いや子育てに追われる日々で次第にスキンシップがなくなっていったことでさらに関係が悪化。 バラエティ番組でも『ユッキーナがキスやハグをしてくれない!』などと冗談のように話していますが、冗談ではなかったようですね。 2016年9月12日に木下優樹菜がある友人に送ったダイレクトメッセージには夫藤もんに対しての不満がずらり。 「 うちもねえ 喧嘩するたびに 離婚する 言われ続けて いよいよ なんだこいつ。 て思って呆れてる。 だから記念日とかいちいちなんかやってくんのいい旦那アピールとしかおもえないから やめてね ていっといた笑 」 と。 さらにこの後関係が悪化している。 これまでは結婚記念日やプロポーズ記念日など、事あるごとに花束などをプレゼントしていたフジモンですが、この頃からそういったプレゼントはパッタリとなくなってしまったそうです。 こうした日々のちょっとしたボタンのかけ違いが埋めることのできない溝を作ってしまったということでしょうか? ついには別居、愛想を尽かしたフジモンがユッキーナを「捨てた」離婚となります。 「実は1年ほど前から別居が続いていた。 これまでも衝突することはあったけど、大きなきっかけはケンカ。 藤本さんが強い調子で木下さんを怒った。 それ以降、関係が悪くなって一緒に暮らすことができなくなった」(知人) 周囲の話を総合すると、これまでは2人の娘の養育を考えて同じマンション内で別々の部屋を借りて別居していたという。 夫婦共演していたCMの問題もあり、関係修復を見据え何度も話し合いをもったが改善に至らず、契約終了のタイミングでけじめをつける道を選んだ。 関係者によると、代理人弁護士を立て、財産分与の話し合いも済んでおり、親権は木下が持つ。 (引用:Yahooニュース) しかし離婚のコメントに 「 私たちの間に生まれてきてくれた2人の娘にとって、世界にたった1人の父親であり、母親であるので、今までと変わらず、お互いに協力し合い仲良く子育てをして参ります」 とあるように、子育てはこれからも協力して行なっていくようですので、離婚をしたことでもしかしたら関係が良くなるかもしれませんね。
次の木下優樹菜ユッキーナがタピオカ店を応援! ことのはじまりは、木下優樹菜さんのお姉さんが幼稚園のママ友繋がりで、タピオカ店をオープンさせるママ友のお手伝いとして、アルバイトに行くことになったことがきっかけです。 タピオカ店のオーナーの話では、 「さやかさんが家庭の事情で悩んでいたので、気晴らしに7月20日にオープンするタピオカ店を手伝う?とお誘いしたわけです。 yahoo. オーナーの話だとさやかさんは出資はしていないようですね。 お姉さんが勘違いしたのか?木下優樹菜さんが勘違いしたのか?はわかりませんが、とにかく木下優樹菜さんは姉がお店をオープンします!! と大々的にアピール!! そのおかげでお店はフジモンとユッキーナのファンで繁盛したそうです。 ここで推測ですが、二人の関係がぎくしゃくしだしたのではないでしょうか。 そんな中、 「『食品衛生責任者』のプレートがなくなったんです。 それを警察に相談したところ『まずは合鍵を持っている方に確認して』と言われたので、さやかさんに聞くと『犯人扱いされた』と」 関係がぎくしゃくしている時に、このようなことを聞くと確かに犯人扱いされた、と感じても仕方がないかもしれません。 普段からの信頼関係があってこそですね。 そして、お姉さんは次第にお店に行きにくくなり、木下さんにも相談をしたのかもしれませんね。 さらに給料をもらっていない。 という問題も発生。 しかし、これについては。 「7月分はお支払いしました。 『8月と9月の分をお支払いするのでお店に来てほしい』と伝えたのですが、来店しないので、9月30日付で口座に振り込んだのです。 明細も『郵送しますね』と伝えたら『わかりました』と返答があったので郵送しました」 お店に急に行かなくなったので、給料がもらえるか心配だったお姉さんは、木下さんにまだもらってない・・・と相談した模様。 給料が規定の日に支払われたのか?それとも遅くなったのか?そのあたりは2人にしかわからないですよね。
次のContents• 実は木下優樹菜はかなり鈴木紗理奈と仲がよく、 家族ぐるみで旅行に行ったりもしていたとか。 あの様な騒動を起こし雲隠れの木下優樹菜は仲が良かったタレントたちとの仲は どうなっているのか!? 単純に気になりますよね。。 そのそも仲良くなったきっかけは? そもそも木下優樹菜と鈴木紗理奈はなぜ仲が良かったのか。 共通点といえばやはりヤンキーキャラというところでしょうか? 鈴木紗理奈はユッキーナからは「姉ちゃん」と慕われていました! 2人でとった写真もたびたびインスタにアップ。 こんなに仲が良さそうだったのに、本当に絶縁してしまったのでしょうか? 家族ぐるみの付き合いもしていた2人 旅行に行ったり、プールや海にと家族ぐるみで仲が良かったんです。 お揃いの水着をきてインスタにあげるなど、 本当に中の良い姉妹の様。 木下優樹菜 ユッキーナ と紗理奈、現在は絶縁状態。。 タピオカ騒動からはや8ヶ月。 鈴木紗理奈が2020年7月12日放送の「サンデー・ジャポン」に出演し、 7月6日に芸能界引退を発表した木下優樹菜について複雑な胸の内を語りました。 2人は以前から親交が深く、互いのインスタグラム投稿に登場する仲だった。 鈴木紗理奈は番組で「木下優樹菜が姐さんと慕う」人物だと紹介され、 なんともいえない表情。。 司会の爆笑問題・田中裕二さんから「ユッキーナから連絡は?」と問われると、 「ないんです」と一言。 (これには個人的には親友が大変な状態なら自分から連絡するべきでは?と 思ってしまった。。 ) 続けて「言うべきことなのか…」と悩ましげな様子で 最後にやりとりをした様子を明かしてくれました。 ユッキーナのタピオカ騒動についてどう思っていたか? 「タピオカはもちろん優樹菜が悪い。 男女、夫婦は人さまのことですが、 ここまでになってしまって、もし連絡をくれたらちゃんと話し合いたい」 と、相談してほしい、という気持ちを明かしていました。 あくまで連絡は優樹菜から、なんですね!? 自分からはしないのか!?と。。 紗理奈の本心?「ヤンキー枠の席は空いたから、私がもらおうかな」 連絡のやりとりについてさらに聞かれると 「去年の11月くらいに、ちょうど自粛の時くらいに子育てのことで 意見の食い違いがあり、そこから連絡を取り合ってなかったというか…」 去年の11月といえばちょうどユッキーナが、 実姉が勤務していたタピオカ店の店主に対しSNS上で 「いい年こいた・・・」 「弁護士たてて、法的処理、いくらでもできるから」 「事務所総出でやりますね」 などと恫喝した件で事実関係を認めて謝罪し、活動休止を発表した時期に当たりますね。 紗理奈はその頃からやりとりをしていないそう。 この騒動に関して聞かれると 「タピオカの件は優樹菜が悪い」と一刀両断。 「芸能界引退しても母親であることは変わらないから、責任感を持って頑張って生きていって欲しい」とエールを送りながらも、 「ヤンキー枠の席は空いたから、私がもらおうかな」と。 こちらが本音なのかな?と思えてならないのは私だけでしょうか。 最後にユッキーナへかける言葉を求められると 「落ち着いたら連絡もらえたら話したいって思ってるってことと、力強く生きてほしい。 しっかり生きてほしいなって思う。 しっかりしろぉよ!」 と叫んでいました。
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