日本 国 憲法 基本 的 人権 の 尊重。 日本国憲法(全文)

基本的人権の保障(尊重)とは?

日本 国 憲法 基本 的 人権 の 尊重

はじめに 冒頭、日本経済新聞の記述を借りるが、この5月、日本国憲法は施行から丸58年を迎え、大日本帝国憲法(1890-1947)の施行期間を超えたようだ。 明治20年代から昭和20年代までの国内・国際情勢の変化と、昭和20年代から平成20年を目前に控えた現代までのそれとを簡単に比較することはできないが、科学技術の高度化による軍事面や情報通信面での発達、地球規模での人口の急増、民族・宗教問題に端を発する紛争・係争の多発など、変化の大きさ・インパクトの強さは、後者の方が格段に大きかったのではないかと思う。 そのような昨今、わが国においては、現行憲法の改正を巡る論議がますます盛んになってきており、改正が現実味を帯びてきた。 国民の関心も決して低くない。 直近の朝日新聞の世論調査でも、憲法改正への関心が「ある」と答えた割合が65%と、「ない」と答えた33%を大きく引き離している。 このような状況において、私たち松下政経塾生は、わが国の次世代を担っていくためにも、わが国の憲法改正について、やはり積極的・主体的に考え、議論していかなければならないと思う。 というのも、憲法は、目まぐるしい変化が予測されるこれからの21世紀の中で、新しい「わが国のかたち」なるものを規定し、方向付けうるものだからである。 わが国においては、今後、かなりの高い蓋然性をもって人口の減少が起こると予測されている。 人口が減少すれば、労働者・納税者・消費者などが減少するだろう。 そうなれば、経済面を中心とする国際競争力のある程度の低下は避けられない。 そして、国際社会におけるわが国のポジションも変わってくるに違いない。 遠くない将来、そのような状況の現出が予測される今日において、「わが国のかたち」をどのように方向付けるのか。 社会のリーダーを志望する私たちにとって、常に考え続けなければならない問題であることは言を俟たない。 とはいえ、そう簡単に結論の出る問題でもないだろう。 継続的に考えていく中で、柔軟に修正を重ねていきながら、よりよい「わが国のかたち」に近づけていけばよいのではないかと考える。 よって、今回のレポートでは、憲法についての考察の第一歩目として、改めて憲法の重要性を確認した上で、わが国の現行憲法の三大原理といわれている「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」について、考察を試みようと思う。 わが国における憲法の意義 憲法は、現代の民主主義国家においても、そして、もちろんわが国においても、とても重要なものである。 それは、なぜか。 そもそも、憲法とは何か。 憲法は、わが国の基本法であり、最高法規である。 そこには、国家が国家として成り立ち、運営していくための基本原則が定められてある。 その憲法に基づいて、多くの法律・命令・規則・条例などがある。 法治国家であるわが国においては、この基本法である憲法の定める枠内でのみ、国会・内閣・裁判所などの統治機構が国家運営をすることができるようになっている。 その憲法の意義であり最大の機能は、本質のところ、国家権力の抑止・制限と国民の保護に尽きる。 つまり、国会などの立法府や、内閣などの行政府の権力濫用による侵害などから、国民の生命・財産や人権などを守るのである。 だから、全ての国民において、憲法は非常に重要なものなのである。 そして、その憲法の中身を決めるのは国民である。 もちろん、中身を具体的に議論するのは、国民の代表である政治家が中心ではあるが、その中身を受け入れるかどうか、決めるのは国民である。 このことは、主権が国民にあることとつながっている。 主権とは、「対内的には国の政治を最終的に決定する権力」(旺文社国語辞典)であるので、憲法制定(改正)権もこれに含まれると考えてもよいだろう。 そしてまた、わが国の憲法も、主権が国民にあることを規定している。 つまり、わが国が民主主義国家であるという、国家体制を明示しているのである。 こうすることによって、民主主義国家としての運営が担保される。 というのも、憲法は、国民と国家との間でのルールだからである。 さらにまた、国家体制を明示することによって、わが国が概念付けられる。 「日本」という国が、日本国民からも、また、外国の人々からも、目に見えるかたちでイメージされる。 そうしてこそ、民主主義国家であることが、名実ともに証明されるといえよう。 だからこそ、憲法は大切であるとも考えられるのである。 以上、憲法の重要性を改めて確認してきた。 その重要性の要素は、一つには、国家権力の抑止・制限と国民の保護であり、もう一つには、主権在民という民主主義国家体制の明示による実践の担保であると、私は考える。 現行憲法の「三大原理」を考える 次に、わが国の現行憲法の三大原理について、まず、なぜ私がこれを考察しようと思ったかを説明したいと思う。 私は、かつて、現行憲法の三大原理が「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」であると学んだのだが、最近になって改めて考えてみると、なぜそういえるのか、疑問を持つようになった。 というのも、現行憲法の中から、重要な要素を3つ抽出しようとして、なぜこの3つになるのか、すんなりと理解しにくいと考えるからである。 それは、一つには、条文の数や文言の表現のためでもあろう。 たとえば、「平和主義」について、それに関わる憲法の部分は、前文と第9条といえるだろうが、前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という部分や、第9条の戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認の規定から、どうして「平和主義」が導けるのか、理解に苦しむのだ。 誰がこれを「平和主義」と決めたのか。 私は、一部の政治勢力による陰謀的な悪意さえも疑えるのではないかと思った。 というのも、徹底して自らは戦わないことを規定することが、本当に平和に結びつくのか、疑問を感じたためである。 もちろん、現行憲法制定当初と比べて、時代や環境が大きく変わったことは事実であろう。 制定当初、わが国は国連を中心とした安全保障の傘の下で庇護されていた。 その後、日米安保条約を中心とする安全保障体制に移行していった。 そのため、前文への違和感や、第9条の解釈変更などが生じてきたことは確かであろう。 でも、そうであるならば、なぜ私が抱いたような疑問を招く状態を改善しないのか。 これは、いまだ持ち続けている問題意識である。 そして、考察していくうちに、三大原理のうち、「国民主権」と「基本的人権の尊重」は、たしかに原理といえるだろうことについては、先に述べた内容でご理解頂けるだろうと思う。 つまり、「国民主権」は、民主主義体制の明示による実践の担保に関わる部分であり、また、「基本的人権の尊重」は、国家権力の抑止・制限と国民の保護に関わる部分であるからだ。 しかしながら、この三大原理が果たして原理といえるほどに実現されているか、議論があるところだろう。 よって、私は、この三大原理を考察しながら、憲法改正の議論を進める上で、この三大原理が将来においてどのような姿に改善されていくべきか、考えることも重要なことだと思う。 だからこそ、私は、この三大原理に切り込もうと考えるのである。 「国民主権」を考える まず、国民主権について考えようと思う。 はたして、この国民主権は、十分に達成されてきたといえるだろうか。 このような疑問を持つ理由の一つに、現行憲法の規定の弱さが挙げられる。 というのも、現行憲法の国民主権に関わる部分が、前文の宣言と、第1条の一部だからである。 この第1条は、主に天皇に関する規定である。 もちろん、天皇は、わが国にとって最も重要な要素の一つであるとは思うが、それと同等以上に、国民に主権があることを明示することは重要だと、私は考える。 この点、PHP研究所の『二十一世紀日本国憲法私案』などは正しい認識を示していると思う。 また、国民主権を脅かす存在の一つが、わが国の強大な官僚機構ではないだろうか。 間接民主主義の制度に則って、私たちの代表として、政治家を選んだとしても、「官僚主導」の政治・行政システムであっては、国民主権も形骸化する恐れが生じる。 宮城県の浅野知事も、「民主主義の対義語は、社会主義や共産主義ではなく、おまかせ民主主義である」といっている。 この「おまかせ民主主義」は、たとえば、理由なく選挙権を行使しない一部の国民のあり方などをも含むような広い意味を持つ言葉ではあるが、その要素の大きな一つが、官僚主導型の政治・行政システムである。 もちろん、政治の現場においては、政治主導への試みを継続中であろうが、絶えずチェックし、進めていかなければならないことであると考える。 たとえば、私の地元においても、必要度の高くなさそうな道路やダムが散見される。 これらは社会資本であり、一定の価値や役割を持つものではあろうが、それらをつくるための財源が、地元住民や多くの国民からの税金に拠ることを考えれば、高い費用対効果の検証や環境への影響を最小限に抑える工夫などを実行してしかるべきだろう。 わが地元でも、ようやく「要らないものは要らない」という声を住民が上げるようになってきた感がある。 そのような行為の積み重ねこそ、よりよい国民主権・民主主義の実現につながるのではないかと考える。 松下幸之助塾主の言葉によれば、人間社会が複雑化し、経済性を追求して分業化が進む中で、民主主義は生まれたという。 たしかに、そのような一面はあるだろうが、そこで生活するのは住民であり国民であるので、必ずしも全てを政治家や行政府に任せていていいわけではないだろう。 以上を考えれば、これからのあるべき国民主権の姿は、それを明確に憲法に規定するとともに、国民と政治・行政をさらに近づけるような方向性が望ましいのではないかと考える。 たとえば、高度に情報通信が発達し、PCの画面からほとんど全ての情報が得られる今日、政治分野においても、この文明の利器を国民に大いに利用してもらうに越したことはない。 国民による、政治・行政へのアクセスが容易になることによって、大いに国民の知恵が集まるだろう。 もちろん、多くのノイズも集まるだろうが、その情報を取捨選択して、社会のリーダーたる政治家が行動を決断することによって、官僚や一部の業界の固定観念に縛られずに、多くの国民が望む国家や社会のあり方によりよく近づいていくことができるのではないだろうか。 また、場合によっては、国民投票や住民投票のような直接民主主義に近い制度も、より効果的に取り入れるべきだろう。 そのためにも、たとえば、ネットによる選挙投票などを、試行錯誤しながら着実に進めていくべきだと思う。 いわば、「おまかせ民主主義」から、「参加型民主主義」への移行、そのような努力の積み重ねこそが、よりよき国民主権につながっていくのではないかと、私は考えるのである。 また、私は、憲法の中身を決めるのは国民であるということが、国民に主権があるということにつながると考えるので、憲法改正について考え、議論することは、国民主権をよりよく発揮することであると考える。 よって、大いに議論を続けていきたいと考えている。 「基本的人権の尊重」を考える 次に、基本的人権の尊重について考える。 これについては、もちろん、一定の問題をはらむ、つまり、国家権力による国民の人権や財産などの侵害はまだ現実に起こっているが、先に述べたとおり憲法の中核をなす部分でもあり、また、多くの国民に認識もされており、実現されている程度もそれなりに高いように思う。 この基本的人権は、ジョン・ロックが唱える自然権のように、憲法に規定されることがなくても、根源的に全ての人間が有しているものだろう。 しかしながら、それの実質的な獲得までの人類の歴史は長く険しい道のりであった。 そのようなことを確認し、確実に国家権力から基本的人権を保障するためにも、これからの憲法においても、必ず規定すべきことであろう。 その際には、環境権やプライバシーの権利など、時代が要請する新しい人権も大いに議論されるべきだろう。 さて、これからの将来において、基本的人権の尊重の面から考えることは、権利とともに、義務の再確認ではないかと、私は思う。 つまり、権利と義務、自由と責任が表裏一体であることの強い認識付けである。 価値観の多様化した現代、わが国民は大いに自由な活動を享受していると思われる。 その反面、凶悪犯罪の増加や希薄な人間関係によるトラブルの増加など、好ましくない面が増えていることも実感として感じられることだろう。 その背景には、多分に観念的な表現ではあるが、自由が行き過ぎて、自己本位・自分勝手な考え方や価値観が広がってしまってはいないだろうか。 現在、国民の義務は、教育・勤労・納税の3つである。 たとえば、最近よく耳にする「NEET」は、勤労・納税の義務を果たしていないことになる。 これは、国家にとって多くの面でマイナスの影響をもたらしていると考える。 豊かになりすぎて、自分の進むべき道を探すのが難しいという現実はあるだろうが、日本で生活している以上、わが国の社会インフラを使っているのだから、何とかして義務を果たすべきである。 ここで私は、行政府に味方して、税金を必ず払うべし、といいたいのではない。 行政府には、税金の使い途にまだまだ改善の余地が少なくないであろうことを忘れずに指摘しておきたい。 ここで私がいいたいのは、国民と国家とのルールである憲法を守って、義務を果たすべし、ということである。 義務を果たし、責任を全うすべし、ということである。 それができないのであれば、憲法を変えるように動くのが筋だろう。 ケネディ元大統領のかの有名な演説も、このことにつながっていると考える。 これからの将来においては、憲法の中で、このことをより明確に再確認し、強調していくべきではないかと思う。 これはまた、受益と負担ということの認識の強化にもつながっていると考える。 たとえば、自由主義経済が行き過ぎた面として、ごみ問題や環境問題がある。 それらの問題についても、一定の歯止めとなり、規範付けになるのではないかと考えるのである。 「平和主義」を考える 最後に、平和主義について考える。 これが三大原理の一つだという危うさは、先ほど述べたとおりである。 もちろん、平和主義を唱えることは、尊いことであると、私は考える。 長い歴史の中で、世界の国々と比べても、極端に対外的な戦争が少なかったことは、わが国が世界に誇ることができる貴重な特性だと思う。 やはり、日本は「和の国」、平和主義を掲げるのは自然な姿である。 ここで私が問題視するのは、現行憲法における平和主義のあり方である。 自国の安全保障を、国連や他の国を中心に構築してよいのだろうか。 現行憲法の規定には、歴史的な経緯があることは既に述べた。 そして、その背後に、「戦わずに平和を守る」日本国民の精神性があることも確かだろう。 つまり、たとえば、アメリカ合衆国も、わが国と同じく民主主義国家であるが、この国においては、紛争解決の手段として、武力行使が正当化される。 「戦うことで平和をつくり出す」という考え方である。 この考え方の背景には、この国の成立した背景、つまり、外部から来た移民たちが、先住民族と戦って勝つことによって、支配領域を拡大していった史実がある。 だから、必要に応じて、戦うことが正当化されやすいのではないか。 一方、わが国においては、近代に至るまで、本格的に領土拡大の野心を抱いて他国と戦おうとしたのは、豊臣秀吉以外にほぼなかったといえよう。 一般にいわれるように、狩猟民族と異なる農耕民族としての側面、戦うことを避け、戦わずに平和を守る側面が、わが国には強く表れていると考えられる。 また、私は、この伝統的な平和の考え方が、現行憲法の改正を強く阻んできた要因の大きな一つではないかと考える。 憲法改正の代表的な争点が、第9条であることは間違いない。 「憲法を改正すれば、第9条も変質するのではないか」、この懸念が、護憲派や憲法改正に不安を抱く人々の最たる懸念ではないかと、私は考える。 わが国の近現代史を顧みれば、共感しうる心情である。 しかし、私は、これからの将来を考えれば、それも少しずつ変わっていかなければならないのではないか、発展していかなければならないのではないかと考える。 平和は、わが国を防衛することだけでは達成しえず、世界の平和への貢献も必要だと考えるからである。 これからの将来、戦争のあり方も変わってくるだろう。 兵隊同士の肉弾戦のほとんどない、ミサイルや戦闘機が中心の戦争になっていくだろう。 だから、それに合った防衛体制や平和構築体制を築くためにも、現実に合った条文に規定しなおす必要があると考える。 かつて、粛軍演説で有名な斎藤隆夫は、大日本帝国憲法を君主独裁政治になる恐れのある憲法だと指摘した。 そこから、軍部や右翼を中心に、大東亜戦争へもつれこんでいったのである。 そのような過ちを二度と繰り返さないためにも、私は、憲法に明確な規定をすべきだと思う。 それこそが、国民が憲法を決める民主主義国家・法治国家における、自衛軍のあり方だと考える。 これからの将来は、「責任ある平和主義」を掲げ、できる限り戦争を回避し、そして、様々な問題で喧しい世界の平和に貢献すべきであると考えるのである。 締め括りとして 以上、三大原理について考察してきた。 今後のあり方は、国民主権については、国民が政治・行政にアクセスしやすくなる「参加型民主主義」に近づくこと、基本的人権の尊重については、権利だけでなく、義務もより強く確認すること、平和主義については、「責任ある平和主義」に近づくことである。 これらに共通する方向性は、「責任を取ることの強化」ということである。 これは、とかく責任の所在が曖昧な日本人や日本の組織への、大きなチャレンジといえるだろう。 たとえば、赤字国債の解消も、一つの大切な責任の履行であろう。 これからの21世紀、世界の情勢を見渡せば、わが国が生き抜いていく環境は決して易しくないと考える。 政治・軍事・経済など、多くの面であらゆる国と国との摩擦・衝突が繰り広げられるだろう。 その中でも、人口増加による食糧問題や環境問題は、相当に深刻になるのではないか。 そのような状況において、自立した国家として生き抜いていくためにも、責任取ることを強化することが大切ではないかと考える。 そうしてこそ、真に自由で、民主的な国家となるのではないかと考える。 以上、私は、現段階において、このような方向性を軸とした憲法改正が望ましいのではないかと考えている次第である。 参考文献 『憲法』(芦辺信喜) 『二十一世紀日本国憲法私案』(江口克彦、永久寿夫編) 日本経済新聞コラム「憲法」シリーズ 2005年5月3日付各社新聞 2004年度憲法講義資料など.

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日本国憲法第13条

日本 国 憲法 基本 的 人権 の 尊重

日本国憲法の内容 1946年11月3日公布, 1947年5月3日施行。 国民主権、平和主義、基本的人権の尊重が三つの基本原理。 国民主権…国の政治の最終決定権は国民にある。 憲法改正…改正には慎重な手続きが定められている。 天皇の地位…天皇は象徴。 国事行為のみを行う。 平和主義…憲法前文と第9条で規定。 自衛隊を持つ。 PKO協力法…自衛隊の 平和維持活動 PKO への参加。 集団的自衛権…2015年の法改正で、限定的行使が可能に。 日米安全保障条約 日米安保条約 …米軍の日本駐留を認める。 非核三原則…核兵器を「持たず、つくらず、持ちこませず」。 比較 大日本帝国憲法 日本国憲法 主権 天皇主権 国民主権 天皇 神聖不可侵で統治権を持つ元首 日本国、日本国民統合の象徴 人権 臣民の権利 基本的人権の尊重 軍隊 国民に兵役の義務 平和主義(戦争放棄) 国民主権 国民主権は、国の政治について最終的に決定する権利が国民にあるということです。 参政権…政治に参加する権利。 情報公開制度…市などがもつ情報を市民に提供する制度。 天皇 大日本国憲法では、主権者。 日本国憲法では、日本の国と国民のまとまりの象徴。 政治についての権限はいっさいもたず、国事行為のみを、内閣の助言と承認のもとについて行う。 さらに詳しく 国事行為とは、憲法に定められた仕事。 国会の指名にもとづき、内閣総理大臣を任命する。 内角の指名にもとづき、最高裁判所長官を任命する。 国会を召集する。 法律や条約などを公布する。 栄典を授与する。 外国の大使・公使をもてなす。 基本的人権の尊重 基本的人権は、人が生まれながらに持っている権利で、すべての国民に保障されています。 基本的人権の種類… 自由権(自由に生きる権利)、平等権(すべての国民が法のもとに平等なあつかいを受ける権利)、社会権(人間らしい生活をする権利)、人権を守るための権利に大きくわけられます。 このほかに、 知る権利などの新しい人権も認められてきています。 2019-09-10 07:37 国民の基本的人権• 思想や学問の自由• 言論や集会の自由• 居住・移転と職業を選ぶ自由• 個人の尊重と法のもとの平等• 男女の平等• 健康で文化的な生活を営む権利• 教育を受ける権利• 働く権利• 働く人が団結する権利• 政治に参加する権利• 裁判を受ける権利 国民の義務 日本国憲法には、国民の権利とともに、国民が果たさなければならない義務もさだめられている。 子どもに教育を受けさせる義務• 税金を納める義務• 働く義務 平和主義 平和主義は、第二次世界大戦の反省をもとに。 日本国憲法の前文では、二度と戦争をしないことをちかう。 第9条では、戦争を放棄し、戦力をもたず、交戦権を認めないことを定めています。 非核三原則…日本では、原爆の被害を受けた、世界でただ1つの国。 日本は、「核兵器をもたない、つくらない、もちこませない」という原則をかかげています。 自衛隊 日本の平和と独立を守ることをおもな目的として組織された。 自衛隊が憲法の平和主義に反するかどうかについて、さまざまな意見があります。 人権の歴史• 1689 権利章典 イギリス• 1776 アメリカ独立宣言• 1789 フランス人権宣言• 1889 大日本帝国憲法 明治憲法• 1919 ワイマール憲法 ドイツ• 1946 日本国憲法• 1948 世界人権宣言 国際連合• 1966 国際人権規約 国際連合• 1979 女子差別撤廃条約 国際連合• 1989 子ども 児童 の権利条約 国際連合 日本国憲法の制定 民主化の中心は憲法改正でした。 GHQの指示…1945年10月、GHQは日本政府に憲法を改正するように指示しました。 政府の改正案…政府の改正案は、天皇が統治権を持つ、軍を統御する。 内閣が天皇を補佐する、公益のためなら法律で人権を制限できるな ど、大日本帝国憲法とほとんど同じ内容でした。 GHQの草案…1946年2月、政府は改正案をGHQに提出しましたが、GHQはそれを拒否し、日本の民間団体の案も参考にしながら、戦事放棄、象徴天皇制などを内容とする草案を提示しました。 政府の抵抗と改正案…政府は、政府案による憲法改正をGHQに申し入れましたが認められず、GHQの草案をもとに憲法改正案をまとめることとなりました。 成立…憲法改正案は帝国議会に提出され、審議されたのち、10月に可決・成立しました。 公布と施行…日本国憲法は1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されました。 日本国憲法の原理 国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つを基本原理としてかかげています。 国民主権…主権は国民にあるとされました。 基本的人権の尊重…基本的人権を尊重するという原理です。 平和主義…戦争を放棄し、戦力を持たないことが宣言されました。 天皇の地位…日本国並びに日本国民統合の象徴とされました。 議院内閣制…国会が国権の最高機関であり、内閣は国会に対して責任を負うしくみに変わりました。 地方自治法 1947年4月、地方自治法が公布されました。 自治の権利…国民の自治の権利が認められました。 都道府県知事…戦前は政府が任命していた知事は、住民の直接選挙で選ばれることになりました。 教育の改革 1947年3月、教育基本法が定められ、民主的な教育の原則が明らかにされました。 教育の民主化…教育勅語を絶対とした戦前の軍国主義的教育から、民主的な教育へと改革されました。 学校制度…6・3・3・4制の学校制度が設けられ、小・中学校の 9年間が義務教育とされました。 また、男女共学が原則となりました。 新民法 1947年12月、民法が改正され、公布されました。 基本原則…個人の尊厳と男女の平等を基本原則としています。 家制度の廃止…財産の相続などにおける戸主の特権が廃止され、家制度はなくなりました。 人権の歴史 市民革命で基本的人権 人権 が確立される。 ロック、モンテスキュー、ルソーらにより人権思想が発展。 ワイマール憲法は、社会権を規定した世界最初の憲法。 ロック…イギリスの哲学者である。 政治思想家としては『統治論 統治二論・市民政府二論 』などを著した。 モンテスキュー…フランスの啓蒙思想家・法律家であるモンテスキュー 1689~1755 は、ロックの影響を受けつつ、古代ローマ史などの研究や、ヨーロッパ各国の社会事情や制度を実地に調査した結果をもとに『法の精神』を著した• ルソー…フランスの啓蒙思想家で、ロックらの社会契約説に学んだ。 憲法とは? 国の最高法規。 国家権力を制限し、人権を守る 立憲主義。 立憲主義は法の支配にもとづく。 大日本帝国憲法 明治憲法 …1889年発布。 主権は天皇が持つ。 国民の権利は法律で制限可能。

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基本的人権の保障(尊重)とは?

日本 国 憲法 基本 的 人権 の 尊重

【日本国憲法(抄)】 第三章 国民の権利及び義務 第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。 第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。 この憲法が国民に保障する基本的人権は…… 憲法10条では「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。 では、憲法上の基本的人権は、日本国籍を有していない外国人にも保障されるものなのでしょうか。 憲法上の基本的人権は「外国人」にも保障されるのが原則 このように、憲法で規定される基本的人権が日本国籍を有していない外国人にも保障されるかという点については明文上明らかとは言えません。 しかし、人権は「人が生まれながらにして持つ権利」という自然権的思想がその基礎にあり憲法によって国民に与えられるものではないと考えられていますし、「国籍」という概念も国家権力の及ぶ範囲を区別するために便宜上利用している法律上の制度に過ぎず、人権の保障を受ける者と受けない者を区別するために考案されたものではありませんから、憲法の基本的人権の享有主体である「国民」には日本国籍を有していない外国人も含まれると考えるのが妥当です。 したがって、憲法の基本的人権は日本国籍を有していない外国人にも保障されるというのが、原則的な取り扱いとなります。 なお、以上の点については『』のページで詳しく解説しています。 基本的人権は「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き」外国人にも保障される このように、憲法の基本的人権が自然権的思想を基礎とするものであり、国籍が人権の保障を受ける者と受けない者を区別するために考案されたものでないことなどを考えれば、憲法の基本的人権は日本国籍を有していない外国人にも保障されるのが基本となります。 もっとも、だからと言って憲法上のすべての人権が外国人にも保障されるわけではありません。 憲法の制定過程では、外国人にすべての人権を保障する趣旨ではないことを明示するためにあえて憲法の条文上「国民の…」と規定された経緯がみられるからです。 憲法制定当時の日本には先の戦争が原因で必ずしも本人の意思とは関係なく日本で生活していた朝鮮や中国の人が多くいましたが、それらの日本国籍を有していない外国人にも憲法上のすべての人権が保障されると解釈されてしまうと混乱を招く恐れがありました。 そのため、憲法を制定する際に、日本国籍を有していない外国人を人権の享有主体に含めない意味合いをもってあえて条文に「国民の…」という文言が使用されたといわれています。 このような制定過程の事情を考えれば、必ずしも憲法上のすべての人権が外国人にも当然に保障されると解することはできないでしょう。 こういった事情があることから、憲法学の通説的見解では「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解される」性質の基本的人権については、日本国籍を有している日本国民のみに保障され、日本国籍を有していない外国人には保障されないと解釈されています。 最高裁判所の判例でも 「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべき」 と判示されていますので()、日本国籍を有していない外国人も原則的にはすべての基本的人権が保障されると言えますが、「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解される」基本的人権については、その性質によって例外的に保障されないものもあるということになるでしょう。 「権利の性質上日本国民のみをその対象としている」人権とは具体的にどのような人権か 以上で説明したように、日本国憲法における基本的人権の享有主体としての「国民」には日本国籍を有していない「外国人」も含まれるということになりますので原則的には「外国人」にも憲法の基本的人権は保障されることになりますが、「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解される」人権に関しては、例外的に日本国籍を有している日本国民のみに保障され、外国人には保障されないものと解されています。 では、その「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解される」人権とは、具体的にどのような人権をいうのでしょうか。 日本では、在日朝鮮人や在日韓国人、在日中国人など日本国籍を有していないものの永住権を保有している外国人も多く生活していますが、「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解される」人権に関しては、それらの永住外国人に保障されないことになり、在日の方々の人権が制限されてしまうことにもつながってしまうため問題となります。 (1)「参政権」は外国人に憲法上保障されるか 参政権については、「権利の性質上日本国民のみをその対象としている」人権に当たると考えられています。 これは、参政権は国民主権原理から導かれるものであり、国民がその帰属している国の政治に参加するためのものですから、その国に帰属していない、つまりその国の国籍がない他国の国民に保障されなければならない原理的な理由はないと考えられているからです。 ですから、選挙権や被選挙権といった参政権については、日本国籍を有していない外国人には憲法上、基本的に保障されないものと解されています。 ただし、市町村の選挙(市町村長選挙や市町村議員選挙)については若干異なります。 市町村といった自治体の選挙は、その自治体に住んでいる住民の生活に密接に関係する市長や議員を選任する性質ものとなりますので、その地域に居住する永住権を持った外国人に参政権を与えることも憲法上否定されていないと考えることもできるからです。 この点、最高裁の判例()でも、以下のように「法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではない」と判示されていますので、国が法律で永住権を有した外国人に対して地方自治体の参政権を付与すること自体は憲法違反にならないとされています。 「憲法93条2項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、憲法第八章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではない」 出典:より引用 このように、憲法学の通説や最高裁の判例では、日本国籍を有していない外国人には参政権は基本的に保障されていませんが、地方自治体の選挙に関する参政権に関しては法律で永住権を持つ外国人に対して参政権を付与することは制限されていない、ということになるでしょう。 【日本国憲法25条】 第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 この点、社会権も「その国民が所属する国家」に対して積極的な措置を求めるものである点を考えれば、前述した参政権のように、その国の国籍がない他国の国民に保障されなければならない原理的な理由はないとも思えます。 しかし、社会権は国の政治に参加する国民主権的意味合いがあるものではなく、人が人として「人間に値する生活」を営むことができるよう求めるものにすぎませんから、それを憲法で保障したとしても国籍を有している国民の権利が影響を受けることはありません。 しかし、社会権は単に「人間に値する生活」を保障するだけのことですから、国の予算が減ることはあっても国民に責任が生じるわけではありませんので、外国人に保障しても差支えないといえます。 また、日本に居住する永住外国人の多くが、先の戦争を理由として定住することになった在日朝鮮・韓国人や在日中国人であり、日本ではマイノリティーに属する現状を鑑みれば、むしろ進んで日本国民と同等の社会権を保障することが、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」「自国のことのみ専念して他国を無視してはならない」と宣言する憲法前文の国際協調主義の趣旨にも合致します。 ですから、憲法の人権規定のうち「社会権」については、日本国籍を有していない外国人についても憲法上できる限り保障されるべきですし、保障しても憲法違反にはならないといえます。 【日本国籍を有していない外国人に社会権が憲法上保障されるか】• 保障しても憲法違反にはならない。 (3)「自由権」は外国人に憲法上保障されるか では、「自由権」や「平等権」などはどうでしょうか。 「自由権」とは、個人の自由な意思決定と活動を保障する人権のことを言います。 国民国家では国民は社会契約によって国家権力に権限を移譲していますが、国家はともすればその権力を濫用し国民が「生まれながらにして持つ権利」である自由や平等という人権を制限する方向に作用します。 その国家による個人の領域への介入を制限し個人の自由内決定と活動を保障するのが「自由権」や「平等権」ということになるでしょう。 この点、これら「自由権」や「平等権」は、基本的に日本国籍を有していない外国人にも憲法上保障されていると考えられています。 なぜなら、『』のページでも説明したように、自由権や平等権などの人権は「人が生まれながらにして持つ権利」としての性質を持つ人権と言えるからです。 自由権や平等権に含まれる人権が「人が生まれながらにして持つ権利」であれば、その保障は国籍の有無にかかわらず、すべての人に保障されなければなりません。 ですから、自由権や平等権などの人権は、外国人にも基本的に保障されるといえるのです。 もっとも、その自由権や平等権などに含まれる人権の中でも、参政権的な性質のある「集会・結社の自由(21条)」のような人権については、前述した(1)の参政権との関係上「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるもの」については一定の制限がかけられる場合があります。 ですから、参政権的な性質を持つ「集会・結社の自由(21条)」に含まれる人権、たとえば外国人の政治活動等については、一定の範囲で日本国籍を有していない外国人について制限される場合はあるといえます(芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法(第6版)」岩波書店96頁参照)。 【日本国籍を有していない外国人に自由権・平等権が憲法上保障されるか】• 外国人の人権をむやみに制限すれば民族の分断を招く 以上で説明したように、人権が「人が生まれながらにして持つ権利」であること、また憲法が国際協調主義を基礎に置いていることを基礎に考えれば、憲法で規定される基本的人権は日本国籍を有していない外国人にも保障されるのが原則ですが、「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるもの」にあたる人権については、例外的に外国人の人権保障を制限することも憲法上認められるということになるでしょう。 ただし、ここで注意しなければならないのは、その原則と例外を逆に考えないようにしなければならないという点です。 『』のページでも説明したように、人権が「人が生まれながらにして持つ権利」であること、また憲法が国際協調主義を基礎に置いていることを考えれば、憲法における基本的人権の享有主体である「国民」には「日本国籍を有していない外国人」も含まれるのが原則なのですから、外国人の人権保障を考える場合には、まず「日本国籍を有していない外国人にも原則的にすべての人権が保障される」というところから議論を始める必要があります。 そしてそのうえで、先ほど挙げた最高裁の判例()の示す基準のように、「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるもの」に当たるか否かを判断し、その議論の中でその外国人の人権を制限することの正当性が例外的に認められるか、という点を十分に検討することが必要と言えるでしょう。 しかし、これを逆に考えて、日本国籍を有していない外国人には権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるもの「以外の人権しか保障されない」というスタンスで議論を始めてしまう場合には、むやみやたらに外国人の人権が侵害されてしまう可能性があるので注意が必要です。 日本における外国人の問題は主に在日朝鮮人や在日韓国人、在日中国人などの問題として議論されることが多いですが、基本的人権が「人が生まれながらにして持つ権利」としての自然権的アプローチから出発して「日本国籍を有していない外国人にも原則的にすべての人権が保障される」というところから議論せず、在日の人には「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるもの以外の人権しか保障されない」というスタンスで議論を始めてしまうと、在日の人たちの人権が闇雲に制限されてしまうことになりかねません。 そのような議論がエスカレートしてしまえば、人権侵害という問題が生じるのはもちろん、中国におけるチベットやウイグルと同じような民族の分断の問題を生じさせ、むえきな対立を生じさせてしまう危険性があることも十分に認識すべきです。 もちろん、先ほども説明したように、国政選挙に関する参政権など国民主権原理が密接に関連する人権など「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるもの」に含まれる人権については、その制限の緩和には十分な議論が必要かもしれません。 しかし、それとは関係のない「社会権」のうち生活保護や高校無償化など社会保障と密接に関係する人権の部類は外国人の保障をむやみやたらに制限すべきではないでしょう。 ですから、外国人の人権については、人権が自然権的思想を基礎にしていること、また憲法が国際協調主義を基礎に置いていることを前提にして、すべての人権が外国人に保障されるものだという原則を理解したうえで、「権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解される」人権に含まれるか否かを個別具体的に、あくまでも慎重に議論していく意識が求められるといえます。

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