天山広吉。 悲運の世代・天山広吉: BUMP★BUMP

天山広吉 入院がヤバい!肺の中に入っていたものとは?画像ツイート

天山広吉

来歴 新日本プロレス キャリア初期 、卒業、学生時代はとに打ち込み、を経て、5月にに入門。 1月11日、大会にて、本名の山本広吉として松田納(現:)戦でデビューを飾る。 その後は同時期にデビューしたとのタッグで前座戦線を沸かせてきた。 3月、若手選手を中心としたリーグ戦、に出場。 リーグ戦で勝利を積み重ねていき、23日の決勝戦で対戦したから勝利を収め、同大会を優勝。 6月より海外武者修行のため、を拠点とする キャッチ・レスリング・アソシエーション( Catch Wrestling Association、略称 : CWA)に参戦。 現地でを下し、CWA世界ジュニアヘビー級王座に2度戴冠する活躍を遂げた。 また、のの元で肉体改造を行い、1月4日、凱旋帰国に合わせてリングネームの姓を 天山と改め、とシングルマッチで対戦し勝利を収めた。 2月4日、の保持するに挑戦。 敗れはしたものの、23歳9ヶ月での挑戦は当時の最年少挑戦記録を打ち立てており、その将来性を高く買われていた。 狼群団 - nWo JAPAN時代 その後、天山はが率いるから再三に渡って勧誘を受け、2月12日、大会昼興行にて勧誘に対する返事を聞かせてほしいと、越中に呼び込まれる形で私服姿でリング上に登場した。 越中と握手をすると見せかけて、を見舞い維震軍入りを拒否。 直後に維震軍の一員であるが現われ、そのまま小原とシングルマッチに流れ込む。 試合を終始圧倒して勝利を収めた。 そしてこの日のメインイベント終了後に再び姿を見せ、リング上にいる選手らを蹴散らかすと直後に登場したと結託。 一躍してトップレスラーたちの仲間入りを果たした。 この試合に勝利を収め、第25代王者組に戴冠する。 同年のでは蝶野と共に最優秀タッグ賞を受賞するに至った。 より蝶野が指揮を執る、 のメンバーとして合流する。 同年8月より開催されたG1では準優勝という戦績を残した。 しかし10月、蝶野が怪我で離脱し代理で指揮を執るがnWoに小島を勧誘する行為に対して異を唱え、チーム内で亀裂が生じていった。 それでも問題が解決しないまま、11月に開催されたでは、とのタッグで出場。 天山はこれをキッカケに小島と、 を結成した。 以降小島と共にタッグ戦線を大いに賑わし、数々のタッグチームを相手にしのぎを削り、のでは最優秀タッグ賞を受賞、11月より開幕したに優勝するといった活躍を見せてきたがに小島の移籍が発表され、同年1月24日の試合を最後にテンコジとしての活動を休止。 その後は再び蝶野と組むようになり始めた。 2003年 - 2005年 8月、に出場。 これまで何度も優勝候補に挙げられるも、後一歩で手が届かなかった天山は一念発起して、再びカルガリーの大剛の元で肉体改造を行い、凱旋帰国を果たす。 また、コスチュームも従来の黒から赤を基調としたものに変更し髪を黒髪に染めた。 G1では初戦こそのに敗北を喫するも、その後は勝利を積み重ねて決勝トーナメントに進出。 準決勝戦でを制し、決勝戦で再び秋山と対戦した。 遠征先のカルガリーにて開発した新技、で秋山からギブアップ勝ちを収め、優勝を果たした。 また、10月に行われたG1 TAG LEAGUEではとのタッグで優勝する。 11月3日には高山が保持するIWGPヘビー級王座に挑戦し奪取し、第33代王者に戴冠。 自身初となるIWGP王座の戴冠となったが12月9日に行われた初防衛戦でに敗戦し、短命政権に終わった。 2月15日、中邑の怪我により返上されたIWGPヘビー級王座決定トーナメントにエントリー。 決勝戦で天龍を制し、第35代王者に返り咲いた。 8月に開催されたG1では新・闘魂三銃士と称された中邑、、らを決勝トーナメントで順に3タテして史上二人目となるG1連覇の偉業を成し遂げる。 12月5日、全日本プロレスに参戦し、の保持するに初挑戦。 12月のプロレス大賞では敢闘賞を受賞した。 2月20日、小島の保持する三冠ヘビー級王座と自身が保持するIWGPヘビー級王座を賭けたダブルタイトルマッチで小島と対戦。 試合時間残り15秒となったところで、による負けを喫した。 試合終了後に都内の病院に搬送され、検査の結果、意識消失発作と診断された。 5月14日東京ドーム大会にて、小島と再戦し勝利を収めてIWGP王座を奪取するも、7月18日の防衛戦で対戦したに敗戦し王座から陥落した。 2006年 - 2008年 8月、G1ではリーグ戦を全勝で飾り、決勝戦で小島と対戦。 これに勝利を収めて3度目の優勝及び全勝優勝の快挙を成し遂げた。 その後、タッグパートナーである蝶野との確執が起きてしまいタッグを解消した。 10月、、らと共に、 を結成する。 12月、全日本プロレス主催のタッグリーグ、にテンコジとして出場し優勝を果たした。 に入り、天山はG・B・Hのリーダーとして引き続きチームを引っ張っていたが前年12月に負傷した首の状態が最悪であることが発覚 、この影響で8月に開幕したG1では2勝3敗と負け越しに終わる。 同月12日にはG・B・Hを離脱した越中からピンフォール負けを喫し、試合後のコメントで天山は「リングが怖い」と弱音を吐く姿が見られた。 10月8日、EXPLOSION '07にて嘗ての付き人であるとシングルマッチで対戦したが試合終盤、後藤の変形バックブリーカーを喰らいを損傷してしまう。 最後は後藤の昇天でピンフォール負けを喫し、長期欠場へと追い込まれた。 試合後、天山は味方の三人から袋叩きに遭い追放された。 3月9日、(以下「NJC」と表記)に出場、一回戦で石井と対戦して勝利。 試合後、またしてもG・B・Hのメンバーによる攻撃を受けるが、この状況を見かねた新日本本隊のが天山の救出に駆け付け、事無きを得た。 最初こそ飯塚を冷たくあしらっていた天山だったが、15日豊岡大会で握手を交わし共闘を宣言。 4月27日、NEW JAPAN BRAVE最終戦で飯塚と共にIWGPタッグ王座に挑戦した。 しかし、試合終盤に天山のパートナーである飯塚から裏切りのスリーパーホールドを極められてしまい、最後は真壁からピンフォール負けを喫した。 その後、天山を裏切りG・B・H入りを果たした飯塚と抗争を展開していくも反則による不透明決着が連日続き、さらには天山のタッグパートナーである長州や蝶野からは厳しい言葉を浴びせられるなど次第に孤立していった。 6月15日後楽園大会にて6人タッグマッチでG・B・Hと対戦したが、またしても反則裁定で終わり、試合後に真壁からでの決着戦を要求され、同ルールで飯塚と対戦することが決定的となった。 7月8日、NEW JAPAN TRILL最終戦で飯塚とランバージャック・デスマッチで対戦した。 場外ではG・B・Hメンバーからの攻撃で流血、後半はレフェリーを不在にさせ無法地帯と化すも、最後は飯塚にアナコンダバイスを極めて勝利を収めた。 試合後にG・B・Hによる攻撃を受ける中、天山の嘗ての盟友である小島が救援に駆けつけ、小島と固く握手を交わした。 その後、天山は8月に開催されたG1に出場するも、試合後に幾度となく飯塚の襲撃に遭ってしまい因縁が再発。 10月13日、にて飯塚と2度目のデスマッチとなるで対戦したが、飯塚にチェーンで絞首刑を受けたところを危険と見なされレフェリーストップ負けを喫した。 その後、翌年に開催されるにてIWGPタッグ王座に挑戦を表明したが、12月29日に右目の上半分が見えなくなるという異常を訴え、と診断され欠場を余儀なくされた。 天山は試合後のコメントで、「これ以上(小島に)迷惑をかけられない」という理由からテンコジとしての活動を再休止した。 その後、再び飯塚からの襲撃を受けるようになり、7月20日、NEW JAPAN SOUL最終戦にてチェーン・デスマッチで対戦。 飯塚の首をチェーンで締め上げK. 勝ちを収めた。 8月、G1公式戦消化中に古傷である首の状態が悪化し、同月14日に脊椎管狭窄症および右肩亜脱臼により無期限の欠場を発表。 千葉県内の病院に入院し、9月24日に首の痛みの原因となる頸椎後縦靭帯骨化症の手術を受けた。 10月2日に退院しリハビリに努めていた が、都内病院にてMRI検査を行った結果、右肩腱板断裂と診断され、右肩も改めて手術することになり再入院。 11月4日より再退院し、引き続きリハビリと治療に専念し始めた。 11月18日、天山はにて行われた若手選手中心の興行、を舞台に復帰戦を行いと対戦、最後はアナコンダバイスで本多からギブアップ勝ちを収めた。 試合後のバックステージで天山は感極まって号泣し、大会終了後に改めてコメントを発表した。 今後は全日本を退団し、フリーランスとして新日本に参戦している小島を標的に定めることを宣言した。 12月11日、NEW JAPAN ALIVE大会にて外道とシングルマッチで対戦。 アナコンダバイスで勝利を収めたが、試合後に飯塚からスリーパーホールドを極められまたも因縁が再燃した。 2011年 にてDEEP SLEEP TO LOSEルールで飯塚と対戦。 試合終盤にレフェリーのブラインドを突いた飯塚の反則攻撃を、実況席のゲスト解説を務めていたの咄嗟の加勢で逃れることに成功する。 最後はアナコンダクロスで飯塚を失神に追い込み、勝利を収めた。 8月、2年ぶりにG1に出場。 最終戦を待たずに予選落ちが確定するも、14日の公式最終戦にて対戦した小島の決勝進出の阻ませ、さらに小島に右目眼窩底骨折の重傷を負わせて欠場へと追い込み4勝5敗という戦績を残した。 9月19日、右目の負傷から回復した小島が新日本所属選手として復帰することがアナウンスされ、その復帰戦の相手として指名を受ける。 にて小島聡復帰戦と銘打たれた試合で小島と対戦するも、最後はでピンフォール負けを喫した。 以降も小島と抗争を繰り広げ、にて小島と三度シングルマッチで対戦しムーンサルトプレスで勝利した。 試合終了後にまたしても飯塚による襲撃を受けたが、状況を見かねた小島が救出に入り飯塚を排除した。 天山はその後、リング上で小島と言葉を交わしあい握手はしなかったものの再結成への兆しを見せた。 19日、小島の試合終了後に起きたによる小島への執拗な袋叩きに耐え切れず救出に入る。 返り討ちにした後、観衆からの「テンコジ」コールに圧される形で、小島と握手を交わした。 27日、飯塚による襲撃を受ける中、救出に入った小島と共に飯塚を撃退する。 その後、天山は小島からテンコジの今後について問いかけられ、遂にテンコジ再結成の意思を表した。 テンコジカッターからアナコンダバイスを極めて飯塚からギブアップを奪い、テンコジ復帰戦を勝利で飾ると、試合後のコメントでIWGPタッグ王座への挑戦をアピールした。 2012年 の舞台で小島と共にBAD INTENTIONSの保持するIWGPタッグ王座に挑戦。 バーナードからムーンサルトプレスでピンフォール勝ちを収め、第58代王者組に戴冠。 にてK. と対戦したが小島がスミスからピンフォール負けを喫して王座から陥落。 にてK. と再び対戦したが、今度は自身がアーチャーからピンフォール負けを喫してしまった。 2013年 にてIWGPタッグ王座を保持するK. 最後は小島がストロングマンからピンフォール勝ちを収め、第62代王者組となった。 8月、G1に出場するも7日の仙台大会にて対戦した戦で肋骨を骨折してしまい、以降の大会を欠場した。 にて復帰戦を行い、とのタッグでK. と対戦したが敗戦。 試合後にアーチャーからIWGPタッグ王座へ挑戦することをアピールされ、挑戦を受諾した。 同月23日、テンコジとして(以下「WTL」)に出場。 決勝トーナメントに進出し、12月8日の準決勝戦でK. 最後はターヴァーからアナコンダバイスでギブアップ勝ちを収め、挑戦権を獲得する。 にて、NWA世界タッグ王座を保持するアイアンゴッズと対戦。 ダンからピンフォール勝ちを収め、同王座に戴冠した。 にて、NWAタッグ王座5度目の防衛戦としてK. と対戦したが、パートナーの小島がアーチャーからピンフォール負けを喫し王座から陥落した。 試合後に小島に詰め寄り仲間割れを起こして不穏な関係へと発展したが、後に和解を果たしWTLに出場。 公式リーグ戦においてコンウェイから勝利を収めたことで、コンウェイの保持するへ挑戦することを表明した。 2015年 にて、NWA世界ヘビー級王座を保持するコンウェイと対戦。 最後はムーンサルトプレスでピンフォール勝ちを収め、同王座に戴冠した。 7月、NWA王者としてG1に出場。 18日、天山はにて行われたG1直前記者会見の場で自身に「もう終わってる」と発言した内藤に対して怒りを露わにしたコメントを発表 、G1では最終戦を待たずして予選落ちが確定するも8月14日の公式リーグ最終戦で内藤からアナコンダマックスでギブアップ勝ちを収め、恨みを晴らした。 8月29日、 ブランデッド・アウトロー・レスリング( NWA Branded Outlaw Wrestling、略称 : NWA BOW)が主催する興行に参戦し、NWAヘビー級王座の防衛戦としてジャックス・ダンと対戦したが、ピンフォール負けを喫して王座から陥落した。 小島が中西からピンフォール勝ちを収めた試合後、永田がマイクを手に取り、「俺たちの力はまだまだ衰えてない!! 」とアピールすると小島、永田、中西らと手を取り合って決起を表明。 同日、の防衛に成功した柴田勝頼から挑発されたことから、の一人として柴田との抗争に身を投じる。 にて、柴田の保持するNEVER王座に挑戦したが敗戦した。 6月27日、後楽園大会にて、G1出場メンバーに天山は自ら選出されなかった不満をアピールした。 以後のシリーズでもG1出場のアピールをし続け、7月3日岩手大会にて小島から呼び込まれる形でリング上に登場した。 小島は天山のG1にかける想いを汲み取り、「G1の出場枠を譲る」と宣言した。 この発言に天山は戸惑いながらも最後は受諾し、後日公式サイトにて小島に代わってG1に出場することが決定した。 13日、G1に向けての公開練習後のインタビューにて「最後の『G1』」と意気込み本戦へと臨んだ が、最終的には2勝7敗という戦績で幕を閉じた。 小島が矢野からピンフォール勝ちを収め、同王座12度目の戴冠を果たした。 得意技 真っ正面からゴツゴツと全身で相手にぶつかっていく小細工なしの直線的なパワーファイトが信条で、相手からの攻撃を正面から受け止めることもあればフィニッシュホールドでも必要以上に空かす事も無く、正面から四つに組むことがファイトスタイルの大きな特徴。 また、盟友・小島と同じく新技の開発には余念がない。 フィニッシュ・ホールド 天山の代表的なの一つで、変形。 の体勢で上下逆さまに抱え上げた相手の首に手を回し、膝をつきながらマットに着地し相手を脳天からマットに叩きつける。 綺麗に決まると相手は首から垂直に落ちるが、通常のボディスラムの様に背中から先に落下する場合もあり、決め方や角度にかなりの差異が見られる。 の体勢で上下逆さまに抱え上げた相手の首に手を回し、そのまま開脚ジャンプした自らの股の間に相手の脳天をマットに突き刺す。 相手に怪我を負わせることが多かったため、前述の着座式に改良されて以降は、ビッグマッチといった舞台でごく稀に披露されることがある。 因みに原型ではの体勢では無く、の体勢で相手を上下逆さまに抱え上げそのまま尻餅をつくようにして落とす。 こちらも怪我人が続出したため現在では完全に封印している。 2014年7月21日のG1 CLIMAX公式戦、カール・アンダーソン戦で初披露。 に捉えた相手を仰向けになるように倒し込み、相手の左サイドに移行し、両足を前方へと放り出しながら体重を後ろにかけて頸部を圧迫させる。 海外修行時に習得して以降、使用しているフィニッシュ・ホールドのひとつ。 1996年に武藤と負けた方が「ムーンサルト封印」という名目で対戦し敗北するも、一年程で再び使用し始め、「これはムーンサルトプレスではない、 天山プレスだ」とコメントした。 2002年9月6日、3号館大会の西村修戦で繰り出した際には、回転に失敗して頭からマットに落下し意識不明に陥ったが、一週間足らずで復帰を果たして再び試合で同技を繰り出し、自身のタフネスぶりをアピールした。 膝に負担が掛かることからいつしか使用されなくなり事実上封印状態となっていたが、自身のデビュー20周年記念興行にて数年ぶりに披露。 再度フィニッシャーとして使用された。 打撃技 独特の呼吸で放ち、使う際には会場内から「シュー」の唱和が飛び交うのが恒例となっている。 初期は両手を大きく振り上げ相手の両肩に打ち降ろした後、自らの両腕を一回転させる独特のモーションだったが、後に改良され、自身の胸の前で両腕を一旦交差させて、バッテンを描くように斜めに振り下ろすようになった。 現在は初期のようなフォームに戻り、自らの両腕を一回転させるモーションは見られなくなった。 呼吸とモーションのみ見せ、チョップではなく相手の腹部にヘッドバットを見舞うフェイント技なども稀に見せる。 稀にダイビング式で使用。 寮で過去のの試合映像を見ていた時、一緒に見ていた1年先輩のに持ち技にするよう勧められたのがきっかけである。 仰向けに倒れた相手の頭側で見得を切り、相手の喉元に手刀を振り下ろす技。 こちらも打ち降ろした後に自らの腕を一回転させる独特のモーションを行う。 向かい合う相手の首元に放つ右フック。 ルール上であるため決め手になることはない。 主にロープへ振った相手に対して放つ、カウンター式を使う。 稀にダイビング式で使用。 天山が使用する打撃技の中でも多用される技のひとつ。 若手時代にに促される形で額にを突き刺す芸も披露したことがある。 頭が非常に硬いので威力が高く、「頭蓋骨が常人の2割増しで厚い」、「ダイヤモンドより硬い頭」などと評されることもあった。 助走を付けながら放っていく型を使用。 主にのを同時に決めるツープラトン技で見られる。 若手時代から時々使用している。 天山の場合モゴリアン・チョップの動作を併用して使用する場合が多い。 投げ技 アナコンダ・バイスの派生技のひとつ。 向かい合う相手をの体勢で組み付き、持ち上げたのと同時に自分の体を前方へと放り出して、尻餅をつきながら着地して相手を背中からマットに叩きつける。 そして、倒れこんだ相手に素早く組み付きアナコンダ・バイスへと移行する。 アナコンダ・バスター アナコンダ・バイスの派生技のひとつ。 同技で極められた相手が抵抗して立ち上がろうとした際、腕を極めた状態の相手の身体を持ち上げて、自らは尻餅をつきながら倒れ込み、相手を後頭部から背中にかけてマットに叩きつける。 ダウンを奪った直後に再びアナコンダ・バイスの体勢に入れる利点がある。 主にロープから戻ってきた相手に対するカウンター式を使用しており、相手を担ぎ上げてそのまま自身の上半身を預ける状態で後方へ倒れ込みながら相手をマットに叩きつける。 近年では倒れる際に、相手を自分より更に後方へ投げ落とす(=自身の体重が相手へ乗っていない)、通常のと大差のない投げ方へと変化している。 大一番では雪崩式を披露することもある。 相手の片足をクラッチしながら抱え上げ、急角度に落としていく変形の。 2003年のカルガリー遠征時において、アナコンダバイスと共に習得した技のひとつ。 の繋ぎ技として使用している。 天山の場合通常式に加え、相手を横向きに抱えて落とす変形式を使用している。 上記同様、の繋ぎ技として使用していたが、やTTDを繋ぎとされてから次第に使用されなくなった。 関節技 アナコンダ・クロス アナコンダ・バイスの進化版。 相手の左腕を首に巻きつけるように交差させながら極める変型のアナコンダ・バイス。 主にアナコンダ・バイスでタップを奪えなかった相手に対して極める奥の手とも言える位置づけの技であるが、上記アナコンダ・マックス習得してからは使用していない。 アナコンダX 2011年8月7日のG1 CLIMAX公式戦、井上亘戦で初披露。 尻餅をついた相手の背後から右手で相手の左手首を掴み取り、相手の左腕をくの字に折り曲げながら頭上で固めて、空いていた自分の左腕を相手の首に巻きつけながら自分の右手にクラッチして締め上げ、自分の身体を右方向に捻って仰向けとなった相手の右サイドに移行し、両足を前方へと放り出しながら体重を後ろにかけて頸部を圧迫させる。 アナコンダシリーズの中では一番使用頻度が低く、この一試合の披露のみで終わっている。 変型の。 尻餅をついた状態の相手の背後から右腕を首に巻きつき、左脇で相手の左前腕部を抱え込みながら自分の両手をクラッチして締め上げる。 胴締め式で使用する場合もある。 結婚以前、喧嘩で妻にを掛けられた際、髪を掴もうと手を差し出したとき、その腕ごと妻に固められてしまったのが開発のキッカケとなっている。 におけるフィニッシャーの一つとして使用されていたが、最近では全く見られなくなった。 上記バッファロー・スリーパーの改良版。 尻餅をついた相手の背後から左手首を右手で掴み取り、相手の左腕をくの字に折り曲げながら相手の頭上に持っていき、空いた自らの左腕を相手の首に巻きつけながら締め上げる。 こちらも現在では見られなくなった。 変形の。 仰向けに倒れた相手の右サイドを陣取り、相手の腿の間に自らの左足を置きながら相手の両足を足4の字固めの体勢で極めながらマットに倒れ込み、最後に身体を横方向に回転しながら相手の右足をで極める。 相手の足を交差させてから抱え込んで極める。 時代の得意技。 仰向けとなった相手の両腿を抱え込み、相手の身体を跨ぐようにステップオーバーしながら極める。 足極め脇固め のように相手の足に自身の片足を入れながら交差させ、ブリッジせずそのまま後方へ倒れこみ片腕を極める技。 ヤングライオン時代に使用していた。 田中ケロ曰くプロレス漫画『』のシャチ固めらしく、使用者がおらず「誰かやらないかなと思ってたら、山本(当時の名)がやった技」だという。 飛び技 凱旋帰国後に使用したフィニッシャー。 それぞれトップロープとセカンドロープに両足を置き、観衆に見得を切ってから放たれるムーブが特徴であり、現在は繋ぎ技として使用している。 1997年の橋本との試合で同技を仕掛けようと飛び上がったところ、リングシューズがロープに絡まり宙吊り状態となるハプニングが発生し、試合が一時中断してしまう事態に見舞われたことがある。 トップコーナーに登りコーナーにもたれ掛かっている状態の相手の頭部を両手で掴み、片膝を相手の首元に押し当てながら飛び上がって、相手を顔面からマットに叩き付ける。 リング内や場外にいる相手に対して放つ事がある。 連携技 CTC Chono Tenzan Crush 蝶野のシャイニングケンカキックと天山のラリアットで相手を挟み撃ちにする技。 蝶天魚雷 2人で行うダイビングショルダータックル。 天中殺 天山がマウンテンボムの体勢で抱え上げ、中邑がコーナーから飛びつき式DDT(ディープインパクト)の形でマットへ突き刺す。 NWA世界タッグ王座を掲げる天山(左)と小島聡(右)• : 4回(第33、35、40、42代)• 最多戴冠記録保持者。 優勝:1回(1993年)• 優勝 : 3回(2003年、2004年、2006年)• 優勝 : 1回(1995年) パートナーは蝶野。 優勝 : 2回(2006年, 2008年) パートナーは小島。 : 1回(第127代)• : 1回(第75代) パートナーは小島。 CWA世界ジュニアヘビー級王座 : 2回• 敢闘賞 : 1回(2004年) 人物 タレントとしては2011年12月よりに所属している (業務提携)。 キャラクターの強さはもとより、下記の趣味からテレビ出演も多い。 パチンコ 天山は好きでも有名で、その面でのメディア露出も多い。 作のパチンコ漫画「パチンコファイター猛牛天山!! 」で原作を担当していた(2002年に単行本化)。 でも2011年9月までパチンコのコラム『天山の激録!! 玉取ったる』を月1回連載していた(ただし、怪我の治療のため、2009年10月から2010年3月にかけてはが代わりに担当していた)。 テレビでも『 リーチボーイズが行く! 』(・・)に準レギュラー出演していたほか、ゲストとしてパチンコ・パチスロ番組へ出演することも多い。 2010年に発売されたパチンコ機『CR江戸の始末屋〜最強新日烈伝』()では、蝶野・棚橋・と共に「始末屋」の一人として液晶演出に登場している。 新日本プロレスのマットにパチンコメーカーの広告が出されているため、一時は自分の試合中にそれが目に入り思わずパチンコのことを考えてしまうほどだった(『銀玉王』出演時の発言より)。 2010年の復帰後はプライベートでのパチンコを「家庭の事情」で禁止されているほか、2012年1月には年始の抱負として「パチンコ引退」を表明するなど、一時パチンコから距離を置いていた。 しかし2014年にパチンコ漫画誌へのコメントとして「これからもパチンコを打ち続けるぞぉー!! 」とパチンコ復活宣言をするなど、引き続きパチンコと関わっている。 妖怪ウォッチ 2014年にはのバラエティ番組「」に「妖怪メダルに翻弄される男」として出演したことがある。 の愛好者として「」 や「」など関連テーマの番組に相次いで出演した。 また、同年に新日本プロレスのYoutubeチャンネルでもようかい体操第一を踊る動画がアップされた。 ゲームでは「」 2016年12月8日、セガ - JUSTIS六狂人・天山広吉 役 として出演した。 その他• 若手時代、しょっちゅうやの悪ふざけの被害に遭っていた。 爪楊枝を額に突き刺す芸をやらされたり、エアガンで撃ち殺した雀の肉を食べさせられたりとそうしたエピソードも豊富にある。 練習生時代、夜逃げを決意しらと涙で別れの握手を交わすが、その後爆睡してしまい実行には至らなかった。 若手時代のエピソードとして道場の食堂でラーメンを食べていた、先輩のから「レンゲ持ってこい!」と言われ、「レンゲソウ」と勘違いし、野菜室を物色して「草っぽいもの」を探していた、という実話がある。 『週刊プロレス』2015年12月7日号増刊、プロレスラー写真名鑑号 2016、頁4。 新日本プロレス公式サイト. 2006年10月2日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2006年10月15日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2007年8月12日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2007年10月8日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2007年10月9日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2008年2月17日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2008年3月9日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2008年3月15日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2008年3月30日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2008年4月27日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2008年6月15日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2008年7月8日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2008年10月13日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2008年9月22日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2008年11月5日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2008年12月9日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2009年1月3日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2009年5月3日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2009年7月20日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2009年8月14日閲覧。 nikkansports. com. 2009年9月23日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2009年10月2日閲覧。 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天山がやっぱり好い人過ぎる!そんな天山が未だに絶対許せないと思うほどのイジメをした先輩は誰だ!?

天山広吉

学生時代からボディビル、バスケットボールで鍛え、新日本プロレスが立ち上げた「新日本プロレス学校」に入門。 91年1月11日、今冶市公会堂における松田納(現:エル・サムライ)戦でデビュー。 93年に行なわれた第4回「ヤングライオン杯」で見事優勝し、6月にヨーロッパ修行へ。 95年1月に凱旋帰国し、蝶野正洋、ヒロ斎藤と狼群団を結成。 97年にはnWoジャパン入り。 99年1月4日、小島聡とのテンコジタッグで第36代IWGPタッグ王座に輝く。 00年には、蝶野率いるT2000の一員となる。 01年12月の「G1 TAG LEAGUE」では、小島とのコンビで初優勝。 02年1月、小島の新日本退団に伴い、テンコジタッグを解消する。 03年6月10日、IWGPヘビー級王者の高山善廣に敗退したのを機にカナダ遠征へ出発。 8月の「G1 CLIMAX」では、新技アナコンダバイスでプロレスリング・ノアの秋山準を撃破し、悲願の初優勝。 11月3日、高山を下して第33代IWGP王者王座に輝く。 11月には、西村修とエントリーした「G1 TAG LEAGUE」で優勝。 04年2月15日に行なわれた「IWGPヘビー級王座決定トーナメント」を制し第35代王座に就く。 8月の「G1」では、決勝戦で棚橋を下し連覇を達成。 04年12月12日、佐々木健介を破り、第40代IWGP王者となる。 05年2月20日、「IWGPヘビー級・三冠ヘビー級 ダブルタイトルマッチ」で小島に敗れるが、5月14日に小島にリベンジし、IWGP王座に返り咲く。 10月30日、蝶野との蝶天タッグで、自身5度目となるIWGPタッグ王座を獲得。 06年8月の「G1」では、全勝でリーグ戦を勝ち抜き、決勝戦で小島を下して3度目の栄冠を掴む。 その後、蝶野と決別し、10月には真壁刀義らとヒールユニットG・B・Hを結成。 11月には小島とのテンコジで全日本プロレスの「2006世界最強タッグ」に出場し、見事優勝。 2007年1月4日、テンコジとして蝶野&武藤敬司と激突。 10月8日の後藤洋央紀戦以後、負傷欠場するも、08年2月17日に復帰するもG・B・Hを追放される。 G・B・Hとの抗争を開始し、4月27日大阪府立体育会館で真壁、矢野の持つIWGPタッグ王座に挑戦。 だが、飯塚のまさかの裏切りで王座戴冠ならず。 以降、飯塚とは因縁関係になる。 7月8日、飯塚とのランバージャック・デスマッチに勝利。 10月13日、チェーンデスマッチで飯塚に敗退。 11月5日、小島とのテンコジで真壁、矢野を破り、「G1 TAG LEAGUE」V2を達成した。 2009年より長期欠場。 2010年11月の「NEVER. 4」にて復帰を果たした。 14年4月6日両国大会で、小島聡ともに、当時王者のロブ・コンウェイ&ジャックス・ダン組みに挑戦し、天山がジャックス・ダンをムーンサルトプレスで沈め、NWA世界タッグ王者となった。 10月13日両国大会でランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr. の挑戦を受けるが、激闘の末最後は小島がキラーボムの前に沈み、王座から陥落した。 15年2月14日仙台大会でロブ・コンウェイの持つNWA世界ヘビー王座に挑戦し、最後はムーンサルトプレスでコンウェイを下し、NWA世界ヘビー王者となった。 17年3月6日大田区大会で矢野&石井組が持つIWGPヘビー級タッグ王座に小島聡と挑戦。 小島がラリアットで矢野を沈め、第74代王者となった。 『WORLD TAG LEAGUE 2019』エントリー(パートナー:小島聡)。

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【画像】天山広吉の肺の異物はピーナッツ?誤嚥性肺炎の原因は老化?

天山広吉

新日本プロレスの闘牛として知られておりベテランの 天山広吉。 ベテランの レスラー として存在感を放っています。 IWGPのヘビー級チャンピオンの実績もあり、小島聡とのテンコジのタッグもめちゃくちゃ有名で健在ですね!! 現在のフィニッシャーはV1アームロックと袈裟固めの複合技のアナコンダ・バイス。 仰向けとなった相手の左サイドに腰を下ろし、相手の首に自分の右腕を巻きつけ、巻きつけた右手で相手の右手首を掴み取り、自分の左腕を輪形になった相手の右腕に通して自分の右手首をクラッチし、そのまま自分の体を反るようにして相手の頸部を締め上げる関節技ですね。 他にもホールドは多くあり、変形ツームストーン・パイルドライバーでボディスラムの要領で上下逆さまに抱え上げた相手の首に手を回し、膝をつきながらマットに着地し相手を脳天からマットに叩きつけるTTD、ボディスラムの要領で上下逆さまに抱え上げた相手の首に手を回し、そのまま開脚ジャンプした自らの股の間に相手の脳天をマットに突き刺すオリジナルTTD、コブラクラッチに捉えた相手を仰向けになるように倒し込み、相手の左サイドに移行し、両足を前方へと放り出しながら体重を後ろにかけて頸部を圧迫させるアナコンダ・マックス、よく失敗しているムーンサルト・プレスがありますね! 他にも独特の呼吸で放ち、使う際には会場内から「シュー」の唱和が飛び交うのが恒例となっているモンゴリアん・チョップ、ダイビング式のフライング・ニール・キック 、ヘッドバッド、向かい合う相手をロック・ボトムの要領で組み付き、持ち上げたのと同時に自分の体を前方へと放り出して、尻餅をつきながら着地して相手を背中からマットに叩きつけるアナコンダ・スラムを使用します。 他にも極められた相手が抵抗して立ち上がろうとした際、腕を極めた状態の相手の身体を持ち上げて、自らは尻餅をつきながら倒れ込み、相手を後頭部から背中にかけてマットに叩きつけるアナコンダ・バスター、コーナートップやマット上で相手を立たせた状態でロック・ボトムのような形で相手を固め、相手もろとも跳躍しながら後方へ1回転し、相手をマットへ叩きつけるバッファロー・スープレックス、主にロープから戻ってきた相手に対するカウンター式を使用しており、相手を担ぎ上げてそのまま自身の上半身を預ける状態で後方へ倒れ込みながら相手をマットに叩きつけるマウンテン・ボム、尻餅をついた状態の相手の背後から右腕を首に巻きつき、左脇で相手の左前腕部を抱え込みながら自分の両手をクラッチして締め上げるバッファロー・スリーパーなどを使用しますね。 プロレスが大好きな方もあまりプロレスを知らないけどこれから見たい人も人気抜群の彼の試合は必ず見たいはず…そう考えて彼の試合中継を見る方法と簡単な経歴をまとめました! Table of Contents• 天山広吉の試合をテレビで見る方法 テレビで天山広吉の試合を見るには!! 結論から言うと、 天山広吉 の試合は地上波は生中継は致しません。 彼の試合をテレビで見るにはスカパーと契約する必要があります!!スカパーと契約するとを見られるようになり、天山広吉の所属するの試合放送はでやってるんですね! ちなみにはスカパーのプランの一つですのでスカパーと契約することになりますね!! の月会費は? の月会費は月額1944円です。 また、加入した月は無料で、翌月から視聴料が発生します。 ではDEEPやスターダム、、プログノアなどほとんど全てのプロレスの大きな大会を生中継を網羅しておりクラシック中この試合も放送されていますのでプロレス好きなら契約して損はないと思います! を見るための環境にいるものは? を見るにはスカパーと契約した上で以下の機器が必要です。 1:BSデジタルチューナー内蔵テレビ、もしくはBSデジタルチューナー内蔵レコーダーなど(要カード) 2:BSアンテナ、もしくはケーブルテレビ 既に現在、が見られる・などのケーブルテレビ局でテレビを見ている・を契約しているなどの場合は、ネットで申し込むだけでが見られる状態です。 ネットで申し込みをしてから約15分程度でが視聴可能となります。 天山広吉の戦歴 天山広吉の経歴 天山は京都府に生まれており1971年生まれ。 学生時代はボディビルとバスケットボールに打ち込み、新日本プロレス学校を経て、1990年5月に新日本プロレスに入門しています。 1991年1月11日、今治市公会堂大会にて、本名の山本広吉として松田納(現:エル・サムライ)戦でデビューを飾りましたな。 その後は同時期にデビューした小島聡とのタッグで前座戦線を沸かせてきましたな。 1993年3月、若手選手を中心としたリーグ戦、ヤングライオン杯に出場。 リーグ戦で勝利を積み重ねていき、23日の決勝戦で対戦した西村修から勝利を収め、同大会を優勝。 6月より海外武者修行のため、グラーツを拠点とするキャッチ・レスリング・アソシエーション(Catch Wrestling Association、略称 : CWA)に参戦。 現地でランス・ストームを下し、CWA世界ジュニアヘビー級王座に2度戴冠する活躍を遂げます。 また、カルガリーの大剛鉄之助の元で肉体改造を行い、1995年1月4日、凱旋帰国に合わせてリングネームの姓を天山と改め、中西学とシングルマッチで対戦し勝利を収めます。 2月4日、橋本真也の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。 敗れはしたものの、23歳9ヶ月での挑戦は当時の最年少挑戦記録を打ち立てており、その将来性を高く買われていましたな。 nWo JAPAN時代 その後、天山は越中詩郎が率いる平成維震軍から再三に渡って勧誘を受け、2月12日、後楽園ホール大会昼興行にて勧誘に対する返事を聞かせてほしいと、越中に呼び込まれる形で私服姿でリング上に登場。 越中と握手をすると見せかけて、モンゴリアン・チョップを見舞い維震軍入りを拒否。 直後に維震軍の一員である小原道由が現われ、そのまま小原とシングルマッチに流れ込み試合を終始圧倒して勝利を収めます。 そしてこの日のメインイベント終了後に再び姿を見せ、リング上にいる選手らを蹴散らかすと直後に登場した蝶野正洋と結託。 一躍してトップレスラーたちの仲間入りを果たします。 この試合に勝利を収め、第25代王者組に戴冠する。 同年のプロレス大賞では蝶野と共に最優秀タッグ賞を受賞するに至りましたな。 1997年より蝶野が指揮を執るヒール・ユニット、nWo JAPANのメンバーとして合流。 同年8月より開催されたG1では準優勝という戦績を残します。 しかし1998年10月、蝶野が怪我で離脱し代理で指揮を執る武藤敬司がnWoに小島を勧誘する行為に対して異を唱え、チーム内で亀裂が生じていきます。 それでも問題が解決しないまま、11月に開催されたSG TAG LEAGUEでは、nWoスティングとのタッグで出場。 天山はこれをキッカケに小島とタッグチーム、テンコジを結成しましたな。 以降小島と共にタッグ戦線を大いに賑わし、数々のタッグチームを相手にしのぎを削り、2000年のプロレス大賞では最優秀タッグ賞を受賞、2001年11月より開幕したG1 TAG LEAGUEに優勝するといった活躍を見せてきたが2002年に小島の全日本プロレス移籍が発表され、同年1月24日の試合を最後にテンコジとしての活動を休止。 その後は再び蝶野と組むようになり始めましたな。 2003年8月、G1 CLIMAXに出場。 これまで何度も優勝候補に挙げられるも、後一歩で手が届かなかった天山は一念発起して、再びカルガリーの大剛の元で肉体改造を行い、凱旋帰国を果たします。 また、コスチュームも従来の黒から赤を基調としたものに変更し髪を黒髪に染めましたな。 G1では初戦こそプロレスリング・ノアの秋山準に敗北を喫するも、その後は勝利を積み重ねて決勝トーナメントに進出。 準決勝戦で高山善廣を制し、決勝戦で再び秋山と対戦。 遠征先のカルガリーにて開発した新技、アナコンダバイスで秋山からギブアップ勝ちを収め、優勝を果たします。 また、10月に行われたG1 TAG LEAGUEでは西村修とのタッグで優勝。 11月3日には高山が保持するIWGPヘビー級王座に挑戦し奪取し、第33代王者に戴冠。 自身初となるIWGP王座の戴冠となったが12月9日に行われた初防衛戦で中邑真輔に敗戦し、短命政権に終わりましたな。 2004年2月15日、中邑の怪我により返上されたIWGPヘビー級王座決定トーナメントにエントリー。 決勝戦で天龍を制し、第35代王者に返り咲きます。 8月に開催されたG1では新・闘魂三銃士と称された中邑、柴田勝頼、棚橋弘至らを決勝トーナメントで順に3タテして史上二人目となるG1連覇の偉業を成し遂げます。 12月5日、全日本プロレスに参戦し、川田利明の保持する三冠ヘビー級王座に初挑戦。 12月のプロレス大賞では敢闘賞を受賞しましたな。 2005年2月20日、小島の保持する三冠ヘビー級王座と自身が保持するIWGPヘビー級王座を賭けたダブルタイトルマッチで小島と対戦。 試合時間残り15秒となったところで、脱水症状によるK. 負けを喫しましたな。 試合終了後に都内の病院に搬送され、検査の結果、意識消失発作と診断。 5月14日東京ドーム大会にて、小島と再戦し勝利を収めてIWGP王座を奪取するも、7月18日の防衛戦で対戦した藤田和之に敗戦し王座から陥落しましたな。 2006年8月、G1ではリーグ戦を全勝で飾り、決勝戦で小島と対戦。 これに勝利を収めて3度目の優勝及び全勝優勝の快挙を成し遂げた。 その後、タッグパートナーである蝶野との確執が起きてしまいタッグを解消します。 10月、真壁刀義、越中詩郎らと共にヒール・ユニット、G・B・Hを結成。 12月、全日本プロレス主催のタッグリーグ、世界最強タッグ決定リーグ戦にテンコジとして出場し優勝を果たしましたな。 2007年に入り、天山はG・B・Hのリーダーとして引き続きチームを引っ張っていたが前年12月に負傷した首の状態が最悪であることが発覚、この影響で8月に開幕したG1では2勝3敗と負け越しに終わります。 同月12日にはG・B・Hを離脱した越中からピンフォール負けを喫し、試合後のコメントで天山は「リングが怖い」と弱音を吐く姿が見られましたな。 10月8日、EXPLOSION '07にて嘗ての付き人である後藤洋央紀とシングルマッチで対戦したが試合終盤、後藤の変形バックブリーカーを喰らい頸椎を損傷。 最後は後藤の昇天でピンフォール負けを喫し、長期欠場へと追い込まれましたな。 試合後、天山は味方の三人から袋叩きに遭い追放されちゃいます。 3月9日、NEW JAPAN CUP(以下「NJC」と表記)に出場、一回戦で石井と対戦して勝利。 試合後、またしてもG・B・Hのメンバーによる攻撃を受けるが、この状況を見かねた新日本本隊の飯塚高史が天山の救出に駆け付け、事無きを得ましたな。 最初こそ飯塚を冷たくあしらっていた天山だったが、15日豊岡大会で握手を交わし共闘を宣言。 4月27日、NEW JAPAN BRAVE最終戦で飯塚と共にIWGPタッグ王座に挑戦した。 しかし、試合終盤に天山のパートナーである飯塚から裏切りのスリーパーホールドを極められてしまい、最後は真壁からピンフォール負けを喫します。 その後、天山を裏切りG・B・H入りを果たした飯塚と抗争を展開していくも反則による不透明決着が連日続き、さらには天山のタッグパートナーである長州や蝶野からは厳しい言葉を浴びせられるなど次第に孤立していきます。 6月15日後楽園大会にて6人タッグマッチでG・B・Hと対戦したが、またしても反則裁定で終わり、試合後に真壁からランバージャック・デスマッチでの決着戦を要求され、同ルールで飯塚と対戦することが決定的となります。 7月8日、NEW JAPAN TRILL最終戦で飯塚とランバージャック・デスマッチで対戦。 場外ではG・B・Hメンバーからの攻撃で流血、後半はレフェリーを不在にさせ無法地帯と化すも、最後は飯塚にアナコンダバイスを極めて勝利を収めましたな。 試合後にG・B・Hによる攻撃を受ける中、天山の嘗ての盟友である小島が救援に駆けつけ、小島と固く握手を交わします。 その後、天山は8月に開催されたG1に出場するも、試合後に幾度となく飯塚の襲撃に遭ってしまい因縁が再発。 10月13日、DESTRUCTION'08にて飯塚と2度目のデスマッチとなるチェーン・デスマッチで対戦したが、飯塚にチェーンで絞首刑を受けたところを危険と見なされレフェリーストップ負けを喫しましたな。 その後、翌年に開催されるレッスルキングダムIIIにてIWGPタッグ王座に挑戦を表明したが、12月29日に右目の上半分が見えなくなるという異常を訴え、網膜剥離と診断され欠場を余儀なくされましたな。 天山は試合後のコメントで、「これ以上(小島に)迷惑をかけられない」という理由からテンコジとしての活動を再休止。 その後、再び飯塚からの襲撃を受けるようになり、7月20日、NEW JAPAN SOUL最終戦にてチェーン・デスマッチで対戦。 飯塚の首をチェーンで締め上げK. 勝ちを収めましたな。 8月、G1公式戦消化中に古傷である首の状態が悪化し、同月14日に脊椎管狭窄症および右肩亜脱臼により無期限の欠場を発表。 千葉県内の病院に入院し、9月24日に首の痛みの原因となる頸椎後縦靭帯骨化症の手術を受けます。 10月2日に退院しリハビリに努めていたが、都内病院にてMRI検査を行った結果、右肩腱板断裂と診断され、右肩も改めて手術することになり再入院。 11月4日より再退院し、引き続きリハビリと治療に専念し始めましたな。 2010年11月18日、天山は新木場1stRINGにて行われた若手選手中心の興行、NEVER. 4を舞台に復帰戦を行いアントーニオ本多と対戦、最後はアナコンダバイスで本多からギブアップ勝ちを収めます。 試合後のバックステージで天山は感極まって号泣し、大会終了後に改めてコメントを発表。 今後は全日本を退団し、フリーランスとして新日本に参戦している小島を標的に定めることを宣言します。 12月11日、NEW JAPAN ALIVE大阪府立体育会館大会にて外道とシングルマッチで対戦。 アナコンダバイスで勝利を収めたが、試合後に飯塚からスリーパーホールドを極められまたも因縁が再燃しましたな。 レッスルキングダムVにてDEEP SLEEP TO LOSEルールで飯塚と対戦。 試合終盤にレフェリーのブラインドを突いた飯塚の反則攻撃を、実況席のゲスト解説を務めていた井上亘の咄嗟の加勢で逃れることに成功。 最後はアナコンダクロスで飯塚を失神に追い込み、勝利を収めましたな。 8月、2年ぶりにG1に出場。 最終戦を待たずに予選落ちが確定するも、14日の公式最終戦にて対戦した小島の決勝進出の阻ませ、さらに小島に右目眼窩底骨折の重傷を負わせて欠場へと追い込み4勝5敗という戦績を残しましたな。 9月19日、右目の負傷から回復した小島が新日本所属選手として復帰することがアナウンスされ、その復帰戦の相手として指名を受けます。 DESTRUCTION'11にて小島聡復帰戦と銘打たれた試合で小島と対戦するも、最後はラリアットでピンフォール負けを喫します。 以降も小島と抗争を繰り広げ、POWER STRUGGLEにて小島と三度シングルマッチで対戦しムーンサルトプレスで勝利。 試合終了後にまたしても飯塚による襲撃を受けたが、状況を見かねた小島が救出に入り飯塚を排除。 天山はその後、リング上で小島と言葉を交わしあい握手はしなかったものの再結成への兆しを見せましたな。 19日、小島の試合終了後に起きたCHAOSによる小島への執拗な袋叩きに耐え切れず救出に入る。 返り討ちにした後、観衆からの「テンコジ」コールに圧される形で、小島と握手。 27日、飯塚による襲撃を受ける中、救出に入った小島と共に飯塚を撃退。 その後、天山は小島からテンコジの今後について問いかけられ、遂にテンコジ再結成の意思を表しましたな。 テンコジカッターからアナコンダバイスを極めて飯塚からギブアップを奪い、テンコジ復帰戦を勝利で飾ると、試合後のコメントでIWGPタッグ王座への挑戦をアピールします。 レッスルキングダムVIの舞台で小島と共にBAD INTENTIONSの保持するIWGPタッグ王座に挑戦。 バーナードからムーンサルトプレスでピンフォール勝ちを収め、第58代王者組に戴冠。 その後DOMINION 6. 下半期はタッグ王座を巡ってK. )を相手に抗争を展開した。 KING OF PRO-WRESTLINGにてK. と対戦したが小島がスミスからピンフォール負けを喫して王座から陥落。 POWER STRUGGLEにてK. と再び対戦したが、今度は自身がアーチャーからピンフォール負けを喫してしまいましたな。 レスリングどんたく 2013にてIWGPタッグ王座を保持するK. 最後は小島がストロングマンからピンフォール勝ちを収め、第62代王者組となります。 8月、G1に出場するも7日の仙台大会にて対戦した内藤哲也戦で肋骨を骨折してしまい、以降の大会を欠場し。 KING OF PRO-WRESTLINGにて復帰戦を行い、渡辺高章とのタッグでK. と対戦したが敗戦。 試合後にアーチャーからIWGPタッグ王座へ挑戦することをアピールされ、挑戦を受諾。 同月23日、テンコジとしてWORLD TAG LEAGUE(以下「WTL」)に出場。 決勝トーナメントに進出し、12月8日の準決勝戦でK. 最後はターヴァーからアナコンダバイスでギブアップ勝ちを収め、挑戦権を獲得します。 INVASION ATTACK 2014にて、NWA世界タッグ王座を保持するアイアンゴッズと対戦。 ダンからピンフォール勝ちを収め、同王座に戴冠。 KING OF PRO-WRESTLINGにて、NWAタッグ王座5度目の防衛戦としてK. と対戦したが、パートナーの小島がアーチャーからピンフォール負けを喫し王座から陥落。 試合後に小島に詰め寄り仲間割れを起こして不穏な関係へと発展したが、後に和解を果たしWTLに出場。 公式リーグ戦においてコンウェイから勝利を収めたことで、コンウェイの保持するNWA世界ヘビー級王座へ挑戦することを表明しましたな。 THE NEW BEGINNING in SENDAIにて、NWA世界ヘビー級王座を保持するコンウェイと対戦。 最後はムーンサルトプレスでピンフォール勝ちを収め、同王座に戴冠しましたな。 7月、NWA王者としてG1に出場。 18日、天山は明治記念館にて行われたG1直前記者会見の場で自身に「もう終わってる」と発言した内藤に対して怒りを露わにしたコメントを発表、G1では最終戦を待たずして予選落ちが確定するも8月14日の公式リーグ最終戦で内藤からアナコンダマックスでギブアップ勝ちを収め、恨みを晴らしましたな。 8月29日、ブランデッド・アウトロー・レスリング(NWA Branded Outlaw Wrestling、略称 : NWA BOW)が主催する興行に参戦し、NWAヘビー級王座の防衛戦としてジャックス・ダンと対戦したが、ピンフォール負けを喫して王座から陥落しています。 小島が中西からピンフォール勝ちを収めた試合後、永田がマイクを手に取り、「俺たちの力はまだまだ衰えてない!! 」とアピールすると小島、永田、中西らと手を取り合って決起を表明。 同日、NEVER無差別級王座の防衛に成功した柴田勝頼から挑発されたことから、第三世代の一人として柴田との抗争に身を投じます。 INVASION ATTACK 2016にて、柴田の保持するNEVER王座に挑戦したが敗戦しましたな。 6月27日、KIZUNA ROAD 2016後楽園大会にて、G1出場メンバーに天山は自ら選出されなかった不満をアピール。 以後のシリーズでもG1出場のアピールをし続け、7月3日岩手大会にて小島から呼び込まれる形でリング上に登場した。 小島は天山のG1にかける想いを汲み取り、「G1の出場枠を譲る」と宣言しましたな。 この発言に天山は戸惑いながらも最後は受諾し、後日公式サイトにて小島に代わってG1に出場することが決定。 13日、G1に向けての公開練習後のインタビューにて「最後の『G1』」と意気込み本戦へと臨んだが、最終的には2勝7敗という戦績で幕を閉じます。 小島が矢野からピンフォール勝ちを収め、同王座12度目の戴冠を果たしましたな。 天山広吉のファイト スタイル 天山 のファイトスタイルは正統派です。 とにかく相手と真正面から打撃戦で打ち合ってパワーファイトで押しつぶしていくスタイルですね! 現在のフィニッシャーはV1アームロックと袈裟固めの複合技のアナコンダ・バイス。 仰向けとなった相手の左サイドに腰を下ろし、相手の首に自分の右腕を巻きつけ、巻きつけた右手で相手の右手首を掴み取り、自分の左腕を輪形になった相手の右腕に通して自分の右手首をクラッチし、そのまま自分の体を反るようにして相手の頸部を締め上げる関節技ですね。 他にもホールドは多くあり、変形ツームストーン・パイルドライバーでボディスラムの要領で上下逆さまに抱え上げた相手の首に手を回し、膝をつきながらマットに着地し相手を脳天からマットに叩きつけるTTD、ボディスラムの要領で上下逆さまに抱え上げた相手の首に手を回し、そのまま開脚ジャンプした自らの股の間に相手の脳天をマットに突き刺すオリジナルTTD、コブラクラッチに捉えた相手を仰向けになるように倒し込み、相手の左サイドに移行し、両足を前方へと放り出しながら体重を後ろにかけて頸部を圧迫させるアナコンダ・マックス、よく失敗しているムーンサルト・プレスがありますね! 他にも独特の呼吸で放ち、使う際には会場内から「シュー」の唱和が飛び交うのが恒例となっているモンゴリアん・チョップ、ダイビング式のフライング・ニール・キック 、ヘッドバッド、向かい合う相手をロック・ボトムの要領で組み付き、持ち上げたのと同時に自分の体を前方へと放り出して、尻餅をつきながら着地して相手を背中からマットに叩きつけるアナコンダ・スラムを使用します。 他にも極められた相手が抵抗して立ち上がろうとした際、腕を極めた状態の相手の身体を持ち上げて、自らは尻餅をつきながら倒れ込み、相手を後頭部から背中にかけてマットに叩きつけるアナコンダ・バスター、コーナートップやマット上で相手を立たせた状態でロック・ボトムのような形で相手を固め、相手もろとも跳躍しながら後方へ1回転し、相手をマットへ叩きつけるバッファロー・スープレックス、主にロープから戻ってきた相手に対するカウンター式を使用しており、相手を担ぎ上げてそのまま自身の上半身を預ける状態で後方へ倒れ込みながら相手をマットに叩きつけるマウンテン・ボム、尻餅をついた状態の相手の背後から右腕を首に巻きつき、左脇で相手の左前腕部を抱え込みながら自分の両手をクラッチして締め上げるバッファロー・スリーパーなどを使用しますね。 天山広吉の試合の見所とまとめ いかがでしたでしょうか。 日本のリングでオカダカズチカ、、棚橋弘至と並び、日本のプロレスラーとして圧倒的なを誇る天山広吉。 今では多くのファイトで人気を博しており、団体に欠かせない存在となってますね! そんな彼の試合をテレビの大画面で見るにはスカパーのとの契約が必要ですが、彼の試合にはその料金以上の価値があるエキサイティングなものが多いですよね! これを機に彼の試合と他のスポーツも合わせて見てみてはいかがでしょうか。

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