三浦 梅園。 三浦 梅園【みうら ばいえん】の名言

三浦梅園資料館

三浦 梅園

三浦梅園「理屈と道理との弁」(『梅園叢書』より) 資料367 三浦梅園「理屈と道理との弁」(『梅園叢書』より) 理窟と道理との辨 三浦梅園 理窟と道理とへだてあり。 理窟はよきものにあらず。 たとへば親羊をぬすみたるはおやの惡なり。 親にてもあれ惡は惡なれば直に訴ふべしといへるは理窟なり。 親羊を盗しは惡ながら、親惡事あれば迚子是をいふべき樣なしとてかくしたるは道理なり。 人死してはふたゝびかへらず、歸るべきみちあらば、なげきても歎くべし。 かへらぬみちなれば歎きて益なしといへるは理窟なり。 人死して再かへらず、歸るべき道あらば歎ずともあるべけれど、かへらぬ路こそ悲しきなど歎くは道理也。 * * * * * * * * 漢字や送り仮名・読点を多くして、漢字も常用漢字体に直して 読みやすくした本文を、次に示します。 理屈と道理との弁 三浦梅園 理屈と道理と、隔てあり。 理屈は、よきものにあらず。 たとへば、親、羊を盗みたるは、親の悪なり。 親にてもあれ悪は悪なれば直 (すぐ) に訴ふべし、といへるは、理屈なり。 親、羊を盗みしは悪ながら、親、悪事あればとて、子、是 (これ) をいふべき様 (やう) なしとて隠したるは、道理なり。 人死しては、再び帰らず、帰るべき道あらば、歎きても歎くべし、帰らぬ道なれば歎きて益なし、といへるは、理屈なり。 人死して再び帰らず、帰るべき道あらば歎かずともあるべけれど、帰らぬ路こそ悲しき、など歎くは、道理なり。 * * * * * * * * 『日本随筆大成』(新装版、第1期12、吉川弘文館・昭和50年11月1日新版第 第1刷発行、平成5年11月1日新装版第1刷発行)所収の本文を次に示しておき ます。 理窟 (りくつ) と道理 (だうり) との弁 (べん) 三浦梅園 理窟 (りくつ) と道理 (だうり) とへだてあり。 理窟 (りくつ) はよきものにあらず。 たとへば親 (おや) 羊 (ひつじ) をぬすみたるはおやの悪 (あしき) なり。 親 (おや) にてもあれ悪 (あしき) は悪 (あしき) なれば直 (すぐ) に訴 (うつた) へべしといへるは理窟 (りくつ) なり。 親 (おや) 羊 (ひつじ) を盗 (ぬすみ) しは悪 (あしき) ながら、親 (おや) 悪事 (あくじ) あれば迚 (とて) 子 (こ) 是 (これ) をいふべき様 (よう) なしとてかくしたるは道理 (だうり) なり。 人 (ひと) 死 (し) してはふたゝびかへらず。 帰 (かへ) るべきみちあらば、なげきても歎 (なげ) くべし。 かへらぬみちなれば歎 (なげ) きて益 (ゑき) なしといへるは理窟 (りくつ) なり。 人 (ひと) 死 (し) して再 (ふたゝび) かへらず、帰 (かへ) るべき道 (みち) あらば歎 (なげか) ずともあるべけれど、かへらぬ路 (みち) こそ悲 (かな) しきなど歎 (なげ) くは道理 (だうり) 也 (なり)。 引用者注: 「訴 (うつた) へべし」の「訴へ」、 及び「いふべき様 (よう) なし」の「様 (よう) 」の振り 仮名は、『日本随筆大成』の本文のママです。 これは、(注6)に挙げた京都大学電子図 書館で見られる版本(安政2年刊)と同じ仮名遣い、振り仮名です。 「訴 (うつた) へべし」という仮名遣いになっており、「悪」に「あしき」という振り仮名がついて いますが、刊行当時はこのように読まれたものなのでしょう。 (注) 1.上記の三浦梅園「理窟と道理との辨」(『梅園叢書』より)の本文は、 『国立国会図書館デジタ ルコレクション』 に入っている『梅園全集 下巻』 (梅園会編纂、大正元年9月24日・東京:弘道館 発行)所収の「梅園叢書(巻之中)」に拠りました。 この『日本随筆大成』の解題に、「本書は寛延3年の自跋があるが、刊行せられたのは安政 3年 (引用者注:『日本随筆大成』の拠った版本の刊行年) 、活字本としては『梅園全集』『百家説林』 巻六等に収められて流布している。 本書再刊に当っては、内閣文庫蔵の刊本を校合用として 使用した」とあります。 3. この三浦梅園の「理窟と道理との辨」は、歴史学者で茨城大学准教授の磯田道史先生が、平 成23年2月26日の朝日新聞be (土曜版)の「磯田道史の この人、その言葉」で、「理屈と道理 とへだてあり。 理屈はよきものにあらず」という梅園の言葉を引いて、 「富士山の如く思想家にもただ一人そびえたつ者がいる。 三浦梅園 (みうらばいえん) は日本人 のほとんどが迷信や陰陽五行説にとらわれていたとき、西洋近代の科学哲学にひけをとらな い思考を、大分の寒村で繰り返していた。 奇跡のような人物である。 (中略) 彼は人間が作っ た理屈と自然の道理は違うといった。 親が羊を盗み、その子に、たとえ親でも悪は悪、訴えろ、 というのは理屈。 親の悪事を子が隠したくなるのは道理。 両者は違う。 梅園は人間の作った 理屈にとらわれない道理の探求を重視。 この国の思想を大きく合理主義の方向にもっていっ た」 として紹介されたものです。 4. 三浦梅園(みうら・ばいえん)=江戸中期の儒医。 名は晋 (すすむ)。 字は安貞。 豊後国東 (くに さき) の人。 天文・物理・医学・博物・政治・経済に通じ、条理学を首唱。 著「玄語」「贅語」「敢語」「価原」など。 (1723-1789) (『広辞苑』第6版による。 ) 梅園叢書(ばいえんそうしょ)=江戸中期の随筆。 三浦梅園著。 寛延3年(1750)成 立。 安政2年(1855)刊。 儒教的な立場から古今の話題をとりあげ、著者の所 感・論評を平易に述べたもの。 (『デジタル大辞泉』による。 ) 5. 『論語』の子路第十三にこの親子の話が出ていることは、よく知られています。 今、新釈 漢文大系1の『論語』 (吉田賢抗著、明治書院・昭和35年5月25日初版発行) によって本文を引 いておきます。 (返り点を省略 しました。 ) 葉公語孔子曰、吾黨有直躬者。 其父攘羊、而子證之。 孔子曰、吾黨之直者、 異於是。 父爲子隱、子爲父隱。 直在其中矣。 葉公 (せうこう) 孔子に語 (つ) げて曰 (いは) く、「吾が党に直躬 (ちよくきゆう) と いふ者有り。 其の父羊を攘 (ぬす) みて、子之 (これ) を証せり」と。 孔子曰 く、「吾が党の直 (なほ) き者は、是 (これ) に異なり。 父は子の為に隠し、 子は父の為に隠す。 直 (なほ) きこと、其の中 (うち) に在り」と。 著者の吉田賢抗氏は、「余説」で、「孟子の中に次のような話がある」として、舜とその父 の話を紹介しておられます。 桃応という人が、「聖天子舜の父が人を殺しました。 かかる時、舜はどうしましょうか」と 先生に問うた。 孟子は「舜は天子と雖も天下の法を無視することはできないから、父を逮捕す る」と答えた。 更に、「では殺人罪として処刑しますか」と問うと、孟子は、「舜は天子の位 を破れ草履のように捨て、殺人罪を犯した父を背負って海浜にのがれ(当時は海浜は治外 法権の地域)、欣然として父に事 (つか)えて、一生を終ったであろう」と答えた(尽心上)。 天子の位よりは、父子の情が大切であるという、人情の自然に生きるヒューマニズムが、 孟子の根本思想である。 天子となって政治をする人は他にもあろうが、父と子の代役を果 たすことのできる者は誰もない。 父子の間は絶対である。 この真理を無視しては、倫理道 徳は成り立たないところに儒家の学説の根本がある。 (289~290頁) 引用者注: 舜(しゅん)=中国古代説話に見える五帝の一人。 顓頊(せんぎょく)の六 世の孫。 虞(ぐ)の人で、有虞氏という。 父は舜の異母弟の象を愛 し、常に舜を殺そうと計ったが、舜はよく両親に孝を尽くした。 堯 (ぎょう)の知遇を得て摂政となり、その娥皇と女英の二人の娘を 妻とした。 堯の没後、帝位につき、天下は大いに治まった。 南方を 巡幸中に、蒼梧の野で死んだと伝える。 堯(ぎょう)=中国古代の伝説上の聖王。 名は放勲。 帝嚳 (ていこく)の 子。 舜と並んで中国の理想的帝王とされる。 陶唐氏。 「史記」には黄帝・顓頊 (せんぎょく)・帝嚳(ていこく)・堯・舜を、「帝王世紀」には 小昊(しょうこう)・顓頊・帝嚳・堯・舜を挙げる。 (以上、『広辞苑』第6版による。 ) 6. で、『梅園叢書』 (上中下、大坂・秋田屋太右衛門 (宋栄堂) 等 安政2年刊) を画像で見ることができます。 8. フリー百科事典『ウィキペディア』に、の項があります。 9. 国東市のホームページに、国東市にあるの案内のページがあり ます。 10. 資料368にが、あらためて掲載してあり ます。 11. 資料369にがあります。 12. 朝日新聞be (土曜版) に連載された、磯田道史先生の「この人 その言葉」を新書化 した新潮新書『日本人の叡智』 (新潮社、2011年4月20日発行) が出ています。 勿論、三浦 梅園の上に挙げた言葉も出ています。 新潮社の紹介文に「……約五百年にわたる日 本の歴史の道程で生み出された九十八人の言葉と生涯に触れながら、すばらしい日 本人を発見する幸福を体感できる珠玉の名言集」とあります。

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国指定文化財等データベース

三浦 梅園

国宝・重要文化財(美術品) 主情報 名称 : 三浦梅園遺稿 ふりがな : みうらばいえんいこう 員数 : 30種 種別 : 書跡・典籍 国 : 日本 時代 : 江戸 年代 : 西暦 : 作者 : 寸法・重量 : 品質・形状 : ト書 : 画賛・奥書・銘文等 : 伝来・その他参考となるべき事項 : 指定番号(登録番号) : 02218 枝番 : 00 国宝・重文区分 : 重要文化財 重文指定年月日 : 1969. 20 昭和44. 20 国宝指定年月日 : 追加年月日 : 所在都道府県 : 大分県 所在地 : 大分県国東市安岐町富清2507-1 保管施設の名称 : 三浦梅園資料館 所有者名 : 管理団体・管理責任者名 : 安岐町 解説文: 三浦梅園(一七二三-八九)は江戸時代の哲学者。 九州国東【くにさき】半島双子山山麓(現在大分県東国東郡安岐町)の医家に生まれたが、儒学に志して中国の古典を愛読した。 三十歳の頃天地間に条理のあることを知った。 条理の説は彼の独創的なものであって、天地間一切のものは反観合一のいわば弁証法的論理により解明されるというものであった。 その学説を著わしたのが主著「玄語」・「贅語【ぜいご】」・「敢語」のいわゆる梅園三語である。 このうち「玄語」は条理の思想体系を、「贅語」は古今の諸説をひいて条理学の体系的位置づけを、「敢語」は条理の実践面を説いたものである。 その他彼の著述には、経済論として「價原」、詩論として「詩轍【してつ】」、西洋医学に関する「造物餘譚」など多方面にわたるものがあり、彼の学問の幅広さを示している。 しかし、梅園は終生のうち、伊勢参宮と長崎行の三回の旅行以外ほとんど国東の地を離れることがなかった。 ために交友少なく、彼の学説は広く知られることなくして終わった。 明治以後西洋の弁証法哲学の移入とともに、梅園の条理学はわが国の哲学思想界の脚光を浴びるようになった。 彼の著述稿本類は今日も子孫の三浦家に所蔵されている。 それらは昨年国東半島の文化財総合調査を機として概要調査が加えられ、そのうちの主要なものが今回指定になったものである。 三浦梅園(一七二三-八九)は江戸時代の哲学者。 九州国東【くにさき】半島双子山山麓(現在大分県東国東郡安岐町)の医家に生まれたが、儒学に志して中国の古典を愛読した。 三十歳の頃天地間に条理のあることを知った。 条理の説は彼の独創的なものであって、天地間一切のものは反観合一のいわば弁証法的論理により解明されるというものであった。 その学説を著わしたのが主著「玄語」・「贅語【ぜいご】」・「敢語」のいわゆる梅園三語である。 このうち「玄語」は条理の思想体系を、「贅語」は古今の諸説をひいて条理学の体系的位置づけを、「敢語」は条理の実践面を説いたものである。 その他彼の著述には、経済論として「價原」、詩論として「詩轍【してつ】」、西洋医学に関する「造物餘譚」など多方面にわたるものがあり、彼の学問の幅広さを示している。 しかし、梅園は終生のうち、伊勢参宮と長崎行の三回の旅行以外ほとんど国東の地を離れることがなかった。 ために交友少なく、彼の学説は広く知られることなくして終わった。 明治以後西洋の弁証法哲学の移入とともに、梅園の条理学はわが国の哲学思想界の脚光を浴びるようになった。 彼の著述稿本類は今日も子孫の三浦家に所蔵されている。 それらは昨年国東半島の文化財総合調査を機として概要調査が加えられ、そのうちの主要なものが今回指定になったものである。

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三浦梅園「理屈と道理との弁」(『梅園叢書』より)

三浦 梅園

学問は、飯と心得るべし。 みうら ばいえん Baien Miura 江戸時代の思想家 自然哲学者 本職は医者 1723〜1789 自然界で学ぶことに終わりはありません。 たとえどんなに多くの知識や情報を持っていたとしても、 一人の人間、存在が得られるものなどは、 ほんのごくわずかなものでしかありません。 なのに人間の多くは、 学ぶことを止めてしまうケースが多いですね。 その原因は、満足であったり、 限界を感じてでしょうが。 学ぶことのチャレンジを止めてしまっては、 人間に限らず、自然界の存在はすべて、 その瞬間から退化が始まってしまいます。 学び続ける限り、 人間の機能は進化し続けていきます。 自然界の存在に限界はありません。 どこまでも自然界の存在には欲がありますが、 その欲を、学ぶこと、自らを進化させていくことに向けることです。 欲を手放す必要はありません。 単なる物欲や我欲を満たそうするから、 欲を持つことが良くないことのように、 見えてきてしまうだけです。 もちろん学びから得られた知識や情報は、 自然界での真の夢である、 大切な存在の幸せのために役立てられてこそ、 価値のあるものになります。 それは誇示するようなものではありません。 最期の瞬間まで、 生きていくために食べることが必要なように、 学ぶことも生き続けていくことだと捉えて、 どこまでも深く学び続けてください。 特に、自然界の真理を学ぶことは、 他の何を学ぶことより大切なことですね。 三浦さんの、こんな言葉もありました。

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