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鎌倉を英語で説明しよう!大仏&江の島を外国人に紹介

鎌倉大仏 津波

鎌倉大仏の本殿が津波で流されたということがよく言われますが、それは間違いです。 俗説では、1495年の明応の地震津波で流されたと言われますが、この原典をたどっていくと江戸時代に書かれた「続本朝通鑑」です。 つまり何百年も前に起こったことを、伝説のような形で江戸時代に言われていたことを記録に残したものです。 一方、1486年に書かれた「梅花無尽蔵」という書物には、当時、長谷の大仏にはお堂がないということが書かれています。 この記録は実際に見たことを書いたものなので、まず間違いはありません。 それでも1495年の津波で流されたとすると、1486年から1495年の間に誰かが立てないといけないのですが、こんなことは常識的には考えられないことです。 それにもし1495年の明応の地震津波で流されたとすると、大仏より低い場所にある鶴岡八幡宮にも津波は達していたはずです。 そうだとすると、それについて何らかの記録は残っているはずですが何も残っていません。 いつ書かれたものかよくわかりませんが、当時の記録を記述しているものとして「鎌倉大日記」というのがあり、ここには応安2年(1369年)に、鎌倉殿転倒という記述があります。 鎌倉の大仏殿は、1369年に何らかがあって倒れてしまったもので、津波で流されたものではないとするのが、歴史の専門家の常識です。 それからもう1つ、明応の地震津波に2つあります。 1つは1495年、もう1つは1498年です。 1498年は南海トラフの地震で、あまり東のほうには伸びていなくて相模湾にはそんなに大きな津波は来なかったと考えられています。 相模湾を襲っている津波は1495年です。

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なぜに野ざらし…?鎌倉の大仏に大仏殿が無い理由は自然災害にあり

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こんにちは。 大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」 編集長の上田です。 金曜日は「鎌倉大家日記」です。 「鎌倉震災誌」という本があります。 昭和6年に当時の鎌倉町役場から発行されました。 いまも鎌倉の古本屋さんで見かけることがあります。 大正12年の関東大震災による鎌倉の被害と 復興について、 まとめられています。 関東大震災の震源地は相模湾でした。 震度は8クラスだったと言われており、 湾に面する鎌倉の全域は、一瞬のうちに壊滅しました。 当時、旧鎌倉市街は「鎌倉町」と呼ばれていました。 大船、腰越、深沢などの地域は、 まだこれに含まれてはいませんでした。 「鎌倉震災誌」によれば、 この鎌倉町の全戸数は4,183戸。 そのうち、 全壊 1,455戸 半壊 1,549戸 埋没した家 8戸 津波による流失 113戸 地震直後の火災での全焼 443戸 ほぼ壊滅といっていい状況です。 死者は412名、重傷者は341名にのぼったそうです。 また、 相模湾沿岸を襲った津波の高さは5~8メートル。 鎌倉では8メートル程度になったと推定されています。 津波は熱海・伊東以南の沿岸を浸しつつ北上し、 小田原付近で東へ折れたのち、 鎌倉を襲ったと考えられています。 小田原・大磯などの被害は少なかったのですが、 鎌倉方面はそうでなく、 主に、 海抜の低い江ノ電の長谷~由比ヶ浜あたり、 さらに材木座あたりが、甚大な被害を受けました。 流失家屋は繰り返しますが、113戸。 少な目にも思えます。 実は当時、 このあたりには国道134号線もまだ無く、 砂浜と松林が広がる中、家自体が少なかったとのこと。 そのため、 この程度で済んだようです。 津波は2回にわたって来襲しました。 被害は1回目よりも2回目の方が はるかに大きかったのだそうです。 海水が急激に沖へ引いたあと、 やがて、 黒褐色の大波が押し寄せてきた、といわれています。 こうした「鎌倉震災誌」などの記録を 当時の写真などのビジュアルもまじえて見ることができる サイトもあります。 特に鎌倉にお住まいの皆様など、 よろしければぜひご覧になってみてください。 「鎌倉震災誌」は、 こうした被災の歴史をもつ鎌倉の防災を考える上で、 これからも 市民の宝でありつづけることでしょう。 「鎌倉震災誌」に記された経験者の談話です。 その時砂浜には被災者が5、60名位づつ数個所に避難しており、 気がついた人々は辛うじて逃げ去った。 家屋や護岸が流された。 極楽寺 第2震の20分ほどのち、 海水は江の島の東端より三浦半島に向って 一直線を引いたと思われるあたりまで引き去っていた。 ところが見る見るうちに3m以上の大波が襲来し 由比ヶ浜方面に向ったが、その余波は極楽寺川にも浸入した。 再び海水は引き去り、夕方には500m位沖まで引いていた。 翌朝は潮が満ちていたが、砂浜は広がっていた。 極楽寺の人家はいずれも高所にあったためか、 ほとんど流されてはいなかった。 乱橋材木座 津波は最初、砂浜を没して岸壁に衝突し豆腐川に浸入したが、 急速に400m位沖合まで引き去った。 和歌江嶋が長く半島状に露出するとその約20分後再び来襲して、 豆腐川を中心として付近一帯の人家や岸壁を破壊した。 海水は補陀洛寺辺りまで浸入して電柱を没した。

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鎌倉に大津波が来る!?移住前に知っておきたい!鎌倉の自然災害の実態!

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境内の茶店以外での飲食はご遠慮ください。 境内には段差のある箇所もありますので、車椅子をご利用の方はなるべく介護者をご同伴のうえご参拝くださいますようお願い申し上げます。 また、当院には車椅子用トイレがひとつしかございません。 同トイレにつきましては、男女共用とさせていただいておりますので、併せてご承知おきください。 ペットにつきましては、専用のケージやバックに入れた状態のみ入場を許可しております。 首輪をつけての歩行は、補助犬(介助犬、盲導犬、聴導犬)を除き、禁止しておりますのでご了承ください。 境内は、全面禁煙となっております。 境内にて商業利用の写真を撮影される方は、事前に許可を受ける必要があります。 ページから申請書をダウンロードし、必要事項をご記入・捺印のうえご提出ください。 個人使用を目的とされる記念写真などはご自由にお撮りください。 ただし、境内地で許可なくドローンを使用すること、また尊像胎内で自撮り棒を使用することはお控えください。 なお、当院にはプロのカメラマンは常駐しておりません。 自転車・原付バイク以外の駐輪は固くお断りいたします。 また、当駐輪場において盗難や接触事故等のトラブルが発生しましても、当院は一切責任を負いかねますので、ご承知おきください。

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